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第10問 5年前

この年月をみてあなたは何を思い返したか。素直に話せば、私はあなた即ち日本人には東日本大震災を思い起こしてほしい。

昨年、一昨年は私のFacebookのタイムラインには震災被災者を弔う投稿が多々見られたが、今は皆黙りである。もちろんその皆には私自身も含まれる。もう5年、なのだろうか。或いは、まだ5年、なのだろうか。きっと、いやそれは絶対、まだ5年、である。風化というのは極めて残酷だ。誰のせいでもない。忘却は私たちの宿命なのかもしれない。顔も知らないし、名前も知らない、からなのだろうか。私は言い訳だと思う。自分の周りの人々が次々と消えて死んでしまう。ただ実感がわかない、実感しようとしない、だけなのではなかろうか。高校を卒業し、人間関係が一新する中で、私は少し寂しい心持ちでいる。いつか会えるだろうけれど、寂しい。一生会えないとはどれほど辛いのだろうか、笑い合った日々、苦しみも喜びも共に分かち合った仲間が、一瞬にして消えてしまう。病はまだ優しいかもしれない。徐々に人を朽ちさせる。すっかりいなくなってしまう、場合によっては遺体すらも残らない。行方不明という薄情な言葉だけが残る。上滑りの、飾りの言葉。寂しい心を真っ青に塗り重ねるような言葉である。

やれることは確かに少ない。実際何も被災者にはしてあげられないかもしれない。でも他人行儀は一番汚い。偽善ですらない。すっと蓋をすることは容易い、確かに。嬉しいことがあれば、悲しい思い出、他人の思い出は霞むかもしれない。でも掌から零れ落ちる人々の雫には気づきたい。胸にしまいこみたい。

人は死んでも胸の中で生き続ける。人の心に痕を残そう。残せれるような人間になろう。残してやるような人間になろう。文字なんかに頼らない、言葉である。

卒業を祝う会、鳥越先生の遺影を私はつと目に入れた。過去の人かもしれない。でもそうした人々に、人前で、陳腐でも、かっこ悪くても、薄弱でもいいから感謝を言えるような人間でありたい。アピールなんかじゃない。心の中だけじゃなくてきちんと言葉にすることで、人に聞こえるぐらい大きな声で、気持ちを伝えよう。

死は生を享受する我々から最も遠い。だからこそ他者の死は、もっと近い死の形でもある。時には声に出して泣いてやれ。時には心で寂しさを噛み締めてやれ。何の意味も考えなくていい、ただ自分の心のために。そうありたいものだ。