第29問 ご紹介

今日は模試だったのですが、良い文章に出会ったので是非読んで頂きたい本をここに載っけておきます。

貫成人「哲学で何をするのか」

私もまだこれを読んでないので、全部を説明することはできませんが面白かったところがありました。

第2章の『文化の中の「わたし」』

簡単に言えば、近代的自我の否定です。

出だしはメルロ=ポンティの嫉妬の話から始まり、ハイデガーの現存在の話まで行って、近代的な「わたし」を【欲望】の観点から分解していきます。

簡単に要約します。

メルロポンティは嫉妬の法則を「自己を同一化」することだと主張します。すなわち、あるものを持っている他人を持っていない自分と比較し、持っている他人になろうとするということです。この論理で「自己と他人」は混同されます。筆者はセルバンテスの『ドン・キホーテ』の例を出します。(懐かしい…)ドン・キホーテは、英雄の騎士アマディースに憧れて"mad poor fellow"になる訳ですが、彼にとってみればアマディースはこの世にはいないライバル、にあたるわけです。ライバルとはすなわち、あるものを持っている他人、です。この不在のライバルへの嫉妬が生まれる論理構造はどのようなものか。

筆者は嫉妬が生まれる条件を

1自分が持っていないものを持つ者は自分の同類でなければならない

2自分の同類が持つものは望ましい者でなくてはならなくてはならない

としました。これがその論理構造を生み出す訳です。

(私はこの部分をその論理構造とする、にはかなりの違和感があります。是非あなたの意見を聞かせてください)

で、ハイデガーに戻ります。現存在について言及する訳です。まあここが近代自我の批判だから文章もその色に染まる訳です。

そうして筆者は嫉妬という観点から、現存在である私たちが他者との関係を重視すべき、みたいなことを言って終わります。


まあ文章自体はイマイチ、な感じですが、嫉妬(欲望)は誰かのコピーだとする考え方は非常に面白い。連鎖的に自己の同一化が進む訳です。メルロポンティは名前だけ聞いてましたが、かなり面白いんだなと思いました。


今日は疲れてるから文章がかなり雑です。お許しください。最近忙しいんですよね。

きちんといつか予備校の生活について報告しますので。

言えるのは去年と違って、勉強が楽しい、ということです。この感じ忘れないようにします。