第90問 2020年7月のお気に入りの自文拙文

20200701 小袋斉彬について

MUSIC HUB | J-WAVE | 2020/06/26/金 | 25:30-26:00 
http://radiko.jp/share/?t=20200627013000&sid=FMJ
小袋成彬のラジオは先週で一区切り。
このラジオ内で言っている「メディアになりたくない」って話、大切なことだと感じた。
Twitterとかもそうだけど、メディアになることで知名度が上がっていくのってどうなのだろうと最近思う。
お役立ち情報を発信するのって、本当にその人の仕事なの?っていうことが自分の中で増えている。
情報提供するときに、社会が良くなっているような気がするのは、実質なのかという。
社会が良くなることを実感してやるというよりは、良くなっているとあくまで信じている感じ。
「自分の名前で生きていかなきゃ」となって、実名で面白いこととか豆知識呟くことが、本当に自分の名前で生きていくことなのか。ずれてると思う。
Apple MusicとかSpotifyのプレイリスト、いいものばかりでキュレーターがいるはずなのだけれど、そこでいちいち名前が出てこない感じが、いいなと逆に思ったりする。

小袋成彬自体の話としては、ちょっと遠目のファンとしては、少し中二病が抜けないのがもどかしい。
本人はそれでいいんだ、それが俺なんだって感じで、精神がrockerなんだけれど、そのひねくれを気持ち悪い感じで表現しちゃう感じが。
作品として昇華されるときには、すごくいいものになると思うけれど、どこか音楽に対する考え方において、聴いてくれている人のことを無視しよう必死になっている感じが、ファンとしていつも若干不快感を残す。
俺は俺でいいんだ、は全然考え方としていいと思うが、それを我慢できなくなって言っちゃう感じがいただけない。
結局自分は彼の作品を何度も聞いてしまうんだけど、彼のいい音楽がそういう態度によって音楽ファンからあんまり愛されなくて、いろんな人に届かないのは本当にもったいない。
自分を過大評価している感じというか、聴いてくれている人への感謝が2番目3番目になってしまっている感じが、応援している身としては残念。
言っちゃうと久保田利伸はその逆で、いっつも聴いてくれて応援してくれてありがとうと言っていて、重ねてきたキャリアが違いすぎるというのもあると思うが、その照り返しは感じる。
小袋成彬は、アーティストとして作品だけ評価されればひとまずいい、みたいなある意味妥協があり、音楽産業で勝つことが「俺のしたいことじゃない」というシニカルなスタンスから脱することができたとき、また彼は新たなステージに行けるんじゃないかなと、思う。

202007006 ドラマ「やまとなでしこ」について

https://news.yahoo.co.jp/articles/9c6f954109e3fd0b0bf8e08e1a8b4643cba2787e

やまとなでしこは、ざっくりいえばお金と心どっちが大事なのか、みたいな話が良くテーマとして語られる。
ただ何回か見て思うのは、それもすごくこの話に引き込ませるテーマではあるけど、それと同じくらい魅力的なのが、主要な登場人物の多くがそれぞれに心の傷を人生の中で負って来ていて、自分なりにみんな大切なものを見つけて生きてきた中で、交わる人間関係がとてもいいということだ。
女性主人公の松嶋菜々子演じる桜子さんの変化が一番スポットライトが当たるんだけど、男性主人公の堤真一演じる欧介さんにもまた変化はある。
お互い人生の中でコンプレックスとも現代では言えるような深い傷を負いながら生きてきていて、それを当人達なりに乗り越えてはきている。
弱い自分とか隠したい自分は誰しにもあって、序盤の主人公達も嘘や見た目で着飾った状態でその関係性も始まる。
しかし、お互いの内実に触れ合っていく中で、内側に秘めているものをお互い知っていき、そしてそういう嘘をついてしまうあり方も許されていく。私はこれは脚本とか制作者の優しさでもあると思っていて、そういう他者によく思われたいと思う自分もいていいし、仕方ないというメッセージがちゃんと伝わってくる。
中盤で桜子さんが婚約者に自分が住んでる場所は本当はボロアパートなのに高層マンションに住んでるって嘘をついていたことを、欧介さんが庇うシーンがある。そのシーンの彼のセリフなんてまさにそれで、優しさそのものだった。
欧介さんは、桜子さんに最初は外科医だって嘘ついて、お金持ちのふりをして仲良くなっていた。
欧介さんは本当は貧しい魚屋さんの店主で、MITで30手前まで数学の研究をしていたが、挫折して日本に帰り、両親のやっていた魚屋を継いで、たまたま友達に誘われた合コンで昔の彼女にそっくりで美しい桜子さんに出会ってしまう。そうした中で、彼は彼女によく思われるために嘘を重ねていく。
結局その嘘はすぐバレてしまうけれど、そうやって好きな人によく思われたいと思うからこそ着飾ってしまう気持ちは彼もまた知っていた。だからこそ、桜子さんのついていた嘘を誰よりも優しく許すことができた。
桜子さんは欧介さんとの関わりの中で、そうやって嘘をついてしまったり、数学を諦めて日本に帰ってきてしまう彼の弱さを知る。
そして、「お金より心だ」と言い張る欧介さんに、お金が大事だと思って生きてきた自分がなんだか間違っていると言われているような気がして、彼のその弱さを攻め立てる。
ただ欧介さんにはその生活が貧しいものであっても、彼を大切にする仲間や、彼の信じる幸せを同じように信じる人々がいて、桜子さんは彼と関わる中で、自分の見つけた「お金」という答えの先のものを知ろうとしていく。
桜子さんと欧介さんの二人にともにあるのは、心の痛みで、それを乗り越えて、二人はたくましく生きてきた。
そして何が大切なのか自分なりに探して生きてきて。
物語の答えとして、お金より心だよね、というものでもなくて。
痛みを乗り越えてきた他者が、お互いの痛みを知り、誰よりもそれに優しくあることで、その人と一緒に生きていきたいと選択する物語。
この時代にこのドラマが再放送されるのは、お金に目にくらむ人々への警鐘などではけしてなくて、二人が他者を許し優しくある姿に、僕らは癒やされるべきだということなのかなと思っている。

https://realsound.jp/2020/07/post-580447.html

やまとなでしこ』という作品を思い出すたび、あのあたたかな歌声も、頭をよぎる。MISIAの「Everything」だ。20世紀中にミリオンセラーを達成した最後の曲であり、リリースから約20年の月日が経った今なお歌い継がれる名曲。
おとぎ話の始まりを告げるようなイントロは、まるで映画音楽のようにロマンティック。一気に楽曲の世界へと、我々を連れていく。
ストリングスが印象的な、美しくシンプルなメロディでありながら、実に細やかで複雑なコード進行をもつこの曲。冨田ラボの打ち込みによるドラムも効果的だ。
気付かないほど繊細に、なおかつ計算して仕組まれた変調と音の足し算・引き算により、ドラマティックに楽曲が展開していく。MISIAの歌唱はもちろんのこと、イントロからアウトロまで、すべてが聴きどころといえる極上のバラードだ。
〈果てしなく 遠い未来なら あなたと生きたい あなたと覗いてみたい その日を〉
願うような、まるで彼女の心からこぼれ落ちたかのような優しい声に、キュンとなる。
そしてこのフレーズこそ“恋”そのものを言い換えているといっていい。人は、いくつもの出会いのなかで、たったひとりの“あなた”を選ぶ。その瞬間に芽生える「この人と生きたい」と願う確かな衝動。それが、恋なのだと思う。
やまとなでしこ』において桜子は、最後に「真実(ほんとう)の恋」を見つける。そのきっかけもきっと、こんな衝動だっただろう。欧介と生きたい、果てしなく遠い未来を、欧介と覗いてみたい。少女のように純粋な、好奇心にも似た恋心。
そして、恋が永遠に続いたならば、きっと人はそれを、愛と呼ぶのだ。
1998年、ラジオから流れる「つつみ込むように…」に筆者は衝撃を受けた。同じ衝撃に覚えがある人は、きっと少なくないはずだ。
イントロでのホイッスルボイス。5オクターブを誇る音域。なにより、これほどスタイリッシュな音楽を、脅威のリズム感をもってのびのびと歌いながらも「歌詞が日本語であること」に驚いた(デビュー曲の歌詞についてはMISIAによるものではないが)。
「日本人離れした」という枕詞を用いられることが多いMISIAだが、デビュー当時から現在に至るまで「日本語で伝えること」を大切にしているアーティストだ。歌詞カードを読まずとも、きちんと耳に、心に言葉が伝わるよう、大事にメロディに乗せて歌う。MISIAが歌い続けるのはR&Bではなく、こだわりの“J-R&B”だ。
「Everything」の歌詞は、仮歌を聞いたMISIAが翌日には書き上げたという。フレーズのいくつかを拾い上げてみれば、ドラマの内容とリンクする部分はもちろんある。しかし、ひとつのラブストーリーを歌で表現したというよりは、さまざまな愛の形を紡ぎ合わせた歌詞という印象を受ける。歌詞をどこで切り取っても、たしかな“愛の歌”……まさにラブソングなのだ。
だからこそ多くの人の心を打つ。たとえば桜子の気持ちになってみても、欧介の気持ちになってみても、胸に刺さるフレーズがある。恋愛であるだけでなく、人間愛でさえある。
MISIAは、デビュー20周年を迎えた際のインタビューにおいて、自身の数々のヒット曲について振り返り「民謡のよう」と表現した。「歌い手も、誰が曲を作ったのかもわからなくなっても、その曲が存在していくような楽曲」、普遍的なものを作ることができるよろこびを、シンガーとして、作り手として語っていた(参考:Yahoo!ニュース)。
民謡や、それこそ万葉時代の和歌のような、普遍的に人々が共感する言葉やメロディ。MISIAはそうした作品を紡ぐことができる、稀有なアーティストだ。
「Everything」もまさにそう。時代が令和を迎えても愛され続け、当時生まれていなかった人もこの曲を口ずさむ。誰もが歌詞に心を重ね、癒され、ときに切なくなる。
いつか自分がいなくなった世界、果てしなく遠い未来にも永遠に響き渡るだろう至高のラブソング。「Everything」と同じ時代にめぐり合えた奇跡を、心から幸せだと思う。

貧乏が嫌で嫌で仕方なかった桜子さんが男の人から待ち望んでいた言葉があって、それは、「泣かないで、いつか僕が迎えに来るから、きっと君の辛いことは全部忘れられるから」っていう言葉だった。
東十条さんという婚約者に自分の地方にいる父親を身分を偽って紹介したあとのシーンで、東京にいる間の父親の面倒をなにかとみていた欧介さんが、父と別れの挨拶をした桜子さんにこう言う。
「きっと、あなたのつらいこと、全部忘れられる日が来るから。必ず来るから。」
この言葉が完全に地雷になって、桜子さんが泣いてしまう。
それで、泣いている桜子さんに欧介さんが肩を貸すシーン。