第5問 麻布

麻布という言葉は、我々麻布生にとってみれば非常に多義的な言葉である。千代田の南の丘を指して地理的に学校を示すこともあれば、そこにいる人々を指すこともある。また卒業したものからすれば、麻布学園で過ごした6年間を指すこともある。非常に不思議な言葉である。

また別に人の持つ色を指すこともある。自主自律とはよく言われたものだが、我々の持つ多様性のものを暗に示す言葉でもある。

麻布がそういう言葉だとして、私は極めて実直に麻布に感謝の意を伝えたい。私は麻布が好きであり、好きだった。卒業して、肩書きを失えど、変わらないものである。麻布から去るのは素直に辛い。私の傍で笑う友達の顔、私を真っ直ぐに見つめる先生方の真っ直ぐな目。昨日教員室で見つけたある先生の書かれた雑記。先生の生徒に伝える言葉を時に軽く、時に重い。それはそれはとても重い。それは長い年月かけて育てた学生に対する言葉でもあり、その年月にかける言葉でもある。尊い。とても尊大である。

結果が全てという言葉は残念だった。所詮そのような人間に言えることは限られているが、そうした配慮があってしても残念だった。ふざけた言葉だ。我々には当然だが、夢が溢れている。氷上先生は社会を奈落だと言いまでもしたが、我々は奈落でも光るぐらい眩しいものを持っている。何人たりともその輝きは奪わせまい。たとえ奪えど、我々は麻布に帰り、思い出すだろう。それこそ奈落の片鱗を平然と見せられたようなものだ。

皆が言葉にできない中で、こうして書くことは非常に怖い。自分の拙い筆により思いが削ぎ落とされてしまう。しかし書く意義はある。だから書く。「我々」は我々である。抜ける人は勝手に抜けておいてくれ。

私にとって、麻布は純粋に人々だった。顔が自然に浮かぶのである。それこそありのままに。

心臓には苔が生えた、いつしか。明るい日差しも差せば、すべてを洗いながしてしまうほど強い雨も降った。けれど洗い流されるどころか、そこから草木が生えた。人は新緑を時に鬱陶しく感じるだろう。文明は野蛮にもこの草花を摘み取ろうとする。醜く思う人間もいるだろう。美しい花々を想像するのは人の宿命だ。根は強く張る、その想像にわざと反するように。空は本当に広い。骨や膜を破り、茎は伸びていこうとする。

違う場所に生える高木は、下からみると高くないように見える。葉の生い茂る姿はよく見えない。茎が伸びるとよく見える。木々がどれほど高いか。古い木の尊さが見え隠れし始める。腐ると思えば、腐る。生きると思えば、生きる。簡単である。

楽観と悲観は常に絡み合っている。人に触れると、ますます色は青みがかっていく。負けじと赤を足そうも、汚い色になってしまう。辛いことである。しかし手で塗り重ねられた画は何故か温かい。目で見える世界は極めて狭い。

意味がない、利益がない、過程は意味がない。本当にそうなのか。我々は6年間もかけてそんなことを学んだのだろうか。違う、絶対に違う。違うことは我々が生きて証明する。

失敗はしてはいけないのだろうか、どうして皆失敗に厳しいのか。無闇に乱用される現実は可哀想だ。私だけは現実に寄り添っていてやりたい。或いは真っ直ぐ、或いは流し目で、見てやる。

何より感謝である。どこからか私を見ていてくれたあなたに感謝したい。それは近くからかもしれないし、遠くからもしれない。これからも私をよろしくお願いします。人生一生勉強だから。

さて明日はある意味大事な日。心の整理がつけば、結果を発表しようと今のところ思っている。受験の総括なんかも出来たら嬉しい。

見てくれてる人はそういう人だろうし、見られたくない奴もいる。見せたくない奴もいる。そういうことである。

ひとまず今日はこれで。