第78問 久保田利伸インタビューの備忘録

久保田利伸 デビュー30周年を迎えて思う、音楽と表現のこだわり

https://spice.eplus.jp/articles/89332/amp

――日本の音楽シーンはいい意味でも悪い意味でも“流行”に敏感で、みんな右へ倣え的な動きをしていく中で、久保田さんはこれまでそういう動きとは全く無縁で、逆に流行を発信している側でしたよね。

それが僕の性分です。悪く言えばへそ曲がりで、人と同じものをやっている時は気持ち良くなくて、誰かがやっているスタイル、話題になっているスタイルは、最初に排除したい性分です。でも、へそ曲がりではありますが、誰も聴かないものを作るのではなく、なるべくたくさんの人に聴いてもらえるものをといつも思っています。欲張りといえば欲張りですよね。

――ここまで様々な作品を作り、発表してきましたが、特に印象に残っているプロダクツを教えていただけますか?

全部ですね。僕がやっている仕事の中で最も大切なのが作品作り、もう一つはライブですが、その時代時代のアルバムを作っていくこと以上に、大切な仕事はありません。なので、その一つひとつに甲乙はつけがたいですが、音楽イコール、ミュージシャン、スタッフ、全ての人との出会いだと思っています。人のレコーディングのやり方、音楽との向き合い方、コンディションのキープの仕方、それから日本人と外国人との違い、一人ひとりとの出会いが刺激的で、勉強になりました。ここまでの出会いをひとつの形にまとめるのもいいなと、5~6年前から思っていました。

――30年間活動をしてきた方にこそお伺いしたいのですが、昨今の日本の音楽シーンは、久保田さんの目にはどう映っていますか?

これは年を取るとミュージシャンはみんな言いますが、昔よりもつまらないですし、大変です。理由は色々ありますが、まずオリジナルで素敵な曲が生まれる確率が、少なくなってきている気がします。それはたった十数個しかない音階の組み合わせでメロディというものはできているので、メロディが出尽くしている感があって。曲を作っていて“あ、これも何かに似ている”と思う事もよくあると思いますし。でも盗作なんてもってのほかだし、作る方は疲弊していると思います。僕も自分でたくさん曲を作っていますが、自分の中でも得意な事は決まっていて、その中で昔と違うものを作りたい、でもへそ曲がりな曲で終わるのではなく、みんなに聴いてもらえるものをと考えると、なかなか大変です。音楽はどんどん消費されていくものだけど、昨今の流れの中ではより消費度が高くなっていて、そういう意味でも大変です。音の作り方もどんどん変わっていって、アナログとカセットテープしかない時代から、CDやMDが出てきて、そのCDを介さない時代になって。僕は全部の時代を知っていてよかったと思います。音を伝えるメディアもラジオとテレビしかなかった時代から、多様な時代に変わってきて、聴く方にとってはどんどん便利になってきて、音の質がいい悪いという話もありますが、その違いも今はそこまでわからないです。音楽が身近にあればあるほどいい事ではあると思いますが、そんな中で音楽を作っていくのは、大変になったと感じています。

 

久保田利伸「30年、好きな仕事を続けられてラッキーだと思っています」【インタビュー 前半】

WI 好きな仕事を30年できるのは、難しいですよね。
久保田 本当にそうだと思います。音楽の世界は水商売だと思っているんです。“音楽”は、次に何が出来上がるのかわからない頼りないものなので、余計に「ありがとう」っていう気持ちがありますよね。

WI なぜ、続けることができたと思いますか?
久保田 「ラッキー」っていうのは、はっきりしています。夢として「野球の選手になりたい」「芸能人になりたい」「ミュージシャンになりたい」って思う人は、たくさんいます。でも、同じ夢や努力をしても、業界の人と出会え、デビューできて、物が売れて……と、たくさんの“運”が重なった結果だと思っています。

 

久保田利伸、30年すべての現場に、必ずいたのは僕だけ。【インタビュー 後半】

https://cancam.jp/archives/241848

WI では改めて、出来上がったアルバムを聞いていかがですか?
久保田 いろいろな人とコラボレーションしてきたんだと思いました。「バラードをデュエットしたな」とか、「ラッパーとやったな」とか改めて思います。また、レコーディングした時の状況や気持ちも思い出します。僕だけなんですよね、すべての曲の制作現場にいたのは。

WI そうですね! 30年すべての現場に、必ず久保田さんはいらっしゃいました。
久保田 そう。日本もアメリカもすべての現場にいたのは俺しかいない。曲を聞くと相手もスタジオも経緯も“絵”として思い出せるんですよ。相手のいることで具体的なんだと思いました。ひとりだと記憶をたどっても、どこの曲だったか、時代もあやふやなんですよね。

 

【インタビュー】「十人十色、みんな、ありのままでいい」。久保田利伸がアルバムを通して放つメッセージ

https://trendnews.yahoo.co.jp/archives/686441/

――まず久保田さんがアルバムを制作する前に思い描いていたイメージがあったら教えてください。

漠然と思っていたのはアルバムを通して人情とグルーヴがずっとディレイされているアルバムになればいいなということでした。

――なぜ"人情"というキーワードが浮かんできたんでしょうか?

アルバムを作る前はふだん以上に一歩踏み込んでものごとを考えるんですけど、日々のニュースだったり、いろんなメディアを見たり読んだりしていると世の中、自分本意な人間が増えてるなって。僕が年を重ねたせいかもしれないですけど、「人のあったかさや痛みをもっと感じられたらいいのに」と思うことが増えましたね。僕もいっぱいいっぱいになると自分勝手になって「これじゃいけない」と思うんですけれど。

――世の人たちにそういう傾向があるのは想像力が低下したから?

そんな気がしますね。人のことを思う想像力。

――だから『Beautiful People』の曲たちはファンキーな曲もふくめてあたたかくて心地いいグルーヴに満ちているんでしょうか?

そうかもしれないですね。言いたいことがあったら歌詞にしたいし、それを音楽は楽しいもの、優しいもので包んでくれるはずだと思っているんです。

 

久保田利伸さんが語る「私にとってラジオとは?」|【FM50】NHK-FM放送開始50周年特設サイト

https://www.nhk.or.jp/radio/fm50/dj/kubota-toshinobu.html

ーーあと、自分の曲がアメリカでかかったっていう機会もあったと聞きましたが。

久保田利伸
うーん。ニューヨークでなかなかかけてくれなくって、ただ僕ラジオっ子ですんでラジオでかかる、かからない。っていうか、アメリカのヒットはラジオからでしか無いので、今もずーっと。どんだけかけてくれるかって。で「ニューヨークでかけてくんねぇなぁ」って。でも、アメリカの町にちょっとしたキャンペーンみたいな形で行くじゃないですか?で、ある時南部のどっかで、アラバマか・・ちょっとわかんない、南部の車の中しか覚えてない。どっかのラジオ局に移動するっていう時だったか、帰る時だったか。移動する、その目的のラジオ局じゃない局から、曲が、僕の曲がかかったんですよ。幸せでしたねぇ。カーラジオですよね。カーラジオでかかって。この1曲、ラジオで1曲自分の曲をかけてもらうという事が「こんなに幸せなんだ」。

日本にいて、初めてきっと日本でね、かかった時というのは、きっと幸せなんでしょうけども色んな事が分かんないんで、あの、嬉しいも何も無いんです。あの、忙し過ぎちゃって、わけわかんないし、若いし。だけど、30過ぎてアメリカで、やっっと自分の曲がラジオでかかってるのを聴いたって時は、ありがたかったですね。なんかそれ以降は本当に、1曲かけてもらう事の、1回かけてもらう事の意味とか価値っていうのをすんごく意識するようになりましたね。感謝しますね、そういうのは。

ーー今、伺っただけでも、もーのすごい濃いお話で。あの、久保田さんのね、特にどういう言葉を選んだら良いかなって、悩んじゃいますよね。

久保田利伸
あぁ、そうですよね。本当に僕の場合はね、本当に本当にラジオがあって、ラジオが・・ラジオ・・中学1年から結局ラジオマンですよね、僕はね。ラジオを聴いている。ラジオマンって言うとラジオを喋る人になっちゃうけども、もう中学の時から、そっからずーっと現在まで続いてるわけですよね。だから・・で、中学の時にあんだけ強烈に、えっと・・ラジオを聴く生活をしていなかったらば、僕は多分、歌を歌ってないですよ。歌を歌ってるとは思うけども、僕の音楽のスタイルは全然違うし、プロになってないかも知れない。

あそこで、ものすごくレベルの高い曲に出会って「大好きなものはこういう曲なんだ」っていうアーティスト達に出会っていったりとかってする。で、多分出会わなかったんですよ。もし、ラジオのスイッチを自分の部屋で入れなかったら。そしたらば今、本当に今の仕事をしてるかどうか分からないぐらいでかいんですよ、僕にとってラジオが。

 

久保田利伸 interview / 「何は無くとも歌、ソウル、R&B。その魅力に取り憑かれて40年なわけですよ」

http://bmr.jp/feature/168192

——こういうお話を聞いていると、ソウル/R&Bが好きで歌い続けてきた者同士の、ただ歌うことが好きでやっているピュアなコラボというか、そこらへんが久保田さんのシンガーとして信頼できる部分というか、そこをご自身でも強く意識されているような気がするのですが、いかがでしょうか。

「その通りです。今も自分で曲を作りますし、レコーディングの現場もイチから全て見張ってますし、チャンスがあったら参加しますけど、その程度なんですよ。僕は楽器も下手だし、譜面もキッチリ書いて読めればと思うけど、でも歌がド真ん中にあって、それ以外はオマケなんです。だから、どんな曲を作っても、誰とコラボレーションしても、何は無くとも歌、ソウル、R&B。その魅力に取り憑かれて40年なわけですよ。そういう歌であればあるほど楽しいですし、エクスタシーを感じるんですよね」

 

——今回のベストとは関係ないですが、コラボといえば久保田さんの作曲/客演で、松尾潔さんが歌詞を書いた鈴木雅之さんの“リバイバル”が今年出ましたけど、あれも70年代のフィリー・ソウルを思わせるスウィートなバラッドでした。

「また元ネタとか言わないでくださいよ(笑)」

——はい、メイジャー・ハリス(Major Harris)のアレとか言わないようにします(笑)

「あれ、メイジャー・ハリスの“Love Won’t Let Me Wait”は4分の4拍子で、“リバイバル”は3拍子に変えてあるんですけど、それでもわかっちゃいますか? (メイジャー・ハリスの)曲の一番大事なところが出ちゃってるんですね。困ったなぁ(笑)。いや、人に曲を書くことはたまにあるんですが、ベタなソウルというか、元ネタをわかってくださいみたいなレベルの曲を書くチャンスって、なかなかないんですよ。少しポップに工夫してあげなきゃいけなかったりとか。でも、そこはマーチン先輩なので喜んでくれるかなと思って。それに僕らの間ではちょっと気付いてほしいっていうのもあったから。ソウル・マニアの間での秘密の気づき合いっこ。それも大事なソウル・マナーだって、地上波のテレビ番組でも言いましたよ(笑)」