第64問 じゃないじゃない

日本に来てから刺激不足がひどい。
今の自分にはこの物足りない気持ちを文章にぶつけることしかできない。

 

自分の今までの生き方は「じゃない」だった。

自分の目の中に入ったいやで嫌いなものにならないように、そうならないように必死でまるで逃げるかのように動き回っていた。

人の嫌なとこセンサーみたいなのがビンビンに反応して、私の行動規範と付き合う人間を築き上げていった。

それはそれで生のように美しい代物が出来上がったような気はしているけど。もうそろそろその脱皮が必要で、人に問いかけられた時になぜその行動をするのか、なぜその選択をしたのかの肯定的な動機付けが必要なのだ。

否定的なものは指向性出て来づらい。成果に言うと、指向性は色濃いんだけどどうしようもないから人に言いづらいのだ。そして言ったところで、理解はなかなか得られなくて。そういう時って自分の話してる目ってだいたい死んでいて、そんな目で人の心は揺らすことはできない。

何が欲しいのか、何になりたいのか、どう生きたいのか。

じゃないじゃなくて、である。

したくない、じゃなくてしたい。

時間はめっちゃめちゃ限られていて、なんとなく自分のことをわかってきたらもっと深く深く掘ってあげて、先を伸ばしていってやることができたらいいな。

 

自分の自分にとって自信持てるところ。胸張って自信持って生きていこう。

自分に自信があったら、どこぞの誰かが自分のことをジャッジしても何も気にならなくなっちゃう。シビアな空間で生きていく図太さと伸びやかさはそこにあるって確信している。

 

なぜなのか、なんなのか、ひたすらひたすら、爪の先が痛くなるぐらいまで考えてのめり込んで。