第109問 生きているという感じ

せわしない平日を過ごして、あなたに会うと生きているという感じがする

平日を生きてきたと思うし、休日に生きれていると感じるの

少し疲れた時は、あなたの可愛い車を思い出す

ワーゲンの赤いポロ

僕を家まで送ってくれた優しい車

細いしなやかな指でどんなピアノを弾くの

悲しい歌もやさしい歌もきっと上手に弾くんだろうね

あなたの瞳の奥にある悲しみがなんとなく僕にはわかるんだ

それでも優しく前に向かって生きていこうとしているんでしょう

僕らは似ているね

君もまた僕の悲しみを知ろうとしているね

穏やかに傷口に触れる君の手指が愛おしい

俺の好きな音楽も聞いてくれて

出会えてよかった

少なくとも今はそう思ってる

第108問 ポジティブの前に

ポジティブな言葉を書き連ねる前に、自分がちゃんと感じているネガティブな気持ちをも愛せたらいいなと思う。

それをここで丁寧に吐き出して、本当の自分を見失わないようにしようと思う。

 

端的に言えば、もう俺は誰かのジャッジメンタルや偏見、幼さの犠牲になりたくない。

誰かの自分の見栄とか、ぶりを証明するための選別の対象になりたくない。

作為のみならず、不作為をしっかりと感じ取り、その人が何をしないのかをちゃんと覚えて生きていきたい、と思う。

 

そういう若さは、もう自分にはうんざりで、できるだけ関わりたくない。

一度言ったこと、を反故にしたり、守れない人は深い部分には招けない。

 

自分がいつのまにかしてあげてばかりになっている、そういう人は、自分を誰かとくれべて劣位に扱っているのかな、と思う日も長くあったけれど。

最近思うのは、そういう人は本当に大切に思っている人すらも、大切にできていないということだ。

愛を知らぬものが、愛を知るものと関わることで生まれてしまう悲しみであるように思う。

 

私はちゃんと愛を知っているから、あなたに本質的に愛が足りないことをちゃんとわかるのだ。

外を派手に見せていても、みじめなのは変わらない。

第107問 湾に指す光

座る席は、東京湾に差し込む光がよく見える。

コンテナをやりとりするクレーンは、キリンと呼ばれるらしい。人工的な海岸線に沿って、大きさも様々なキリンが構えているのを眺める。

ふさぎ込むような朝の寒さを押しやって、熱視線のようなシャワーを浴びて、台場に降り立つ時生きた感覚がする。

豊洲は苦手だけれど、台場はいい場所だ。疎外感のない、人がいること、人が暮らすことを認めている場所だと思う。ハイソでもないし、日々が流れているのを感じられる場所だ。

今の俺にとても居心地のいい潮風が、身体に吹き抜ける。

運命はやっぱり俺の味方をするようだ。

第106問 山上は

ここ数週間は、自分にとってとても苦しい時間だった。

何をしていても頭の中が曇っていて、すべきことをしていないような、自分への深い罪悪感に苛まれていた。

弱さとも違う、自分の隙のようなものなのかもしれない。

ときたま、自分への自信を喪失してしまう時間があるのだ。

焦燥感ともまた違う、自分そのものへの思いみたいなものが青く染まってしまう感覚。

常日頃そばにあって、肯定感と葛藤しているみたいなものでもない。

突然、コインがひっくり返ってしまうような感覚。

 

何かが必要だったわけでもなく、むしろ色んなものを自分から削ぎ落とす必要だった。
いろんな入り交じる感情が、言葉に出来ないまま自分の中に籠もっていて、それを言語化したいわけでもなく、ただ楽しい時間を過ごすのもうまくいかない。歯車の噛み合わなさを嘆くだけの時間なのだ。

 

知り合いの女性が、インターネットで誹謗中傷にあっていた。

自分の手伝っていた団体で一緒だったひとだ。自分の上司だったけれど、その後リーダーになって、積極的にメディア露出していた人だったが、アダルトビデオに出演していた過去がバラされてしまったみたいだ。

その人の名前で検索すると、その人の出演していた動画やその画像、それについて語り草にしてあることもないことも、のべつ幕なしに話す掲示板の書き込みで溢れていた。

友達にその話をしたら、「全部自分のせいだから仕方ないね」と言っていた。

「そうだねえ」と返事をしながら、言葉にし難い虚無感が深まった。

 

その人は、努力を惜しむ人だった。特定の属性の人を見下す癖があって、自分にとって認められないものを下に見て、それによって自分の凄さを味わう、みたいな人だった。

人望は浅く、考え方も優しくなく。

敵を作る人だったのだと思う。一緒に頑張ったけれど、不快感だけが残る人だった。

彼女に出会って、人生が良くなったとは思えない。どちらかというと、ああいう人がいるから気をつけなくてはいけないなと思うようになった。

 

アダルトビデオに出た経緯について、フェイスブックのポストでくだくだと言い訳をしていた。被害者のように語っていた。自分を匿名掲示板で晒し、傷つける人たちを見下すような言葉を書き連ね、ビデオに出てしまった自分は当時幼かったんだ、と訴えていた。汚された、と嘆いていた。

その投稿も掲示板に晒されてしまって、非難轟々らしい。

 

人を見下したり、自分を都合よく解釈したりしていた。

全部彼女がしたことだった。

すべて彼女が招いたことだった。

彼女と自分の重なりも違いも別に考えることはなく、彼女がいっしょうけんめい作ってきたものが崩れていく音を聞くのみである。

 

人生が山登りだとしたら、ゴンドラやリフトはないのだとつくづく思う。

山を登ることは楽をしてできない。

一日一日を丁寧に過ごし。山を登ろう。

第105問 年の瀬が迫り

このブログも長いこと書いているが、最近は何も書きたいことが出てこない。

熱い気持ちも、昔を思う気持ちも、あまり湧き出てこない。

かしこまったこともあまり言うつもりもない。

この空間は、誰の評価も関係なく、自分の好きなことをただ書き連ねているだけで、そういう点で誰かの目が気になって、というのもまったくない。

燃え尽きた感じかもしれない。

院試も無事終わり、いい結果に恵まれて、満足している。

近頃1ヶ月ほどは勉強をサボり気味で、今日明日から少しづつ再開していこうと思っている。

 

この書きたいことが出てこない、というのは、実はもう今年の春ぐらいからずっとそうなのだ。

どういう変化が私のもとに生まれたのだろう。

ひとつは、好きな人に、きちんと「好き」だと伝えるようになった。

あいかわらずタイミングはよくないし、煮詰まった状態で伝えられない感じも、まだまだ不器用さは残るけど、好きな人に「好き」と言えるようになったのだ。

だから、募る感情をこういう誰にも見られない場所で、発散させる必要があまりなくなったのかもしれない。

 

強い感情、でいうと、強いて言うなら、もう会えなくなってしまった人たちに会いたいと思う気持ちが少しあるかもしれない。

身体を重ねたいとかそういう類の話ではなくて、深く抱きしめたくなる、そんな気持ちなのだ。

抱きしめたい、そういう気持ち。

 

私は、男にしては、特殊なタイプでもあると思う時がある。

女とのつながりにおいて、性的なつながりをあまり大事に思っていない。むしろ、あまりいいものだと思っていない節がある。どこまでも男性的であることを求められるあの空間で、自分にやすらぎと獰猛さを許してくれる人はあまりいないからだ。

これは、まだ自分の同世代が未成熟で、ずっとずっと憧れに右往左往している人間だらけだから、というのもあるのかもしれない。

誰かの王子様になるつもりはサラサラない。王子様を探している女性を見ると、心の奥底から冷めていく感覚さえある。

ちゃんと自分に向き合って生きていないのかな、なんてすら思ってしまう。

人間というのは、パートナーがいようと、家族がいようと、友達がいようと、結局は孤独でひとりで生きていく。

一人で生きていくから、一緒にいてくれる人が愛おしい。

だから、与えることももらえることも幸せになっていく。

第104問 大切な人間関係とは

家族にしても、恋人にしても、友達や親友にしても、大切な人間関係を基礎づけるものはなんだろうか。

血がつながっているという客観的事実か、金銭や精神的扶助という恩か、体を重ねる行為か、取り返しがつかないくらい過ぎてしまった時間か、毎度流れる楽しい雰囲気か。

今久しぶりに朝に目覚めて、思ったことがある。

矛盾してもいい場所。すべての共通項ではないだろうか。

自分の前なら矛盾してもいいよ、という関係性ではないだろうか。

特に家族や恋人に抱く思いは、矛盾に満ちていると思わないか。

愛情と憎悪、期待と心配、肯定と否定。

母に枯れてしまった無償の愛を見て、思うのだ。過去・現在・未来において、矛盾を繰り返す彼女を私は受け入れることしかできない。言葉も行動も矛盾の繰り返しだ。

恋人には、相手を好きになればなるほど、多くを求めてしまう。本当は自分が自分本位だとわかっていても、相手を自分本位だと言ってしまうのだ。

昔好きだった人に言われた言葉を思い出す。

「矛盾したことを言ってごめん。一貫性がなくてごめん」

私はこう返したんだった、「矛盾していいし、一貫性はなくていいよ」

そのときは、なにも責めるような気持ちはなかったし、その人のことを受け入れてあげたかったから言ったけど、あれは愛の一種だったのだろう、今のこの瞬間になって気づいた。

大切な言葉や大切な時間は、皆覚えているものだ。だから、あのときと変わっていく現在に喜んだり、苦しんだり、そんなことの繰り返しである。

昔と言っていることは、思っていることは変わらないなんて態度を、家族や恋人、友だちの前でさせてはならないだと気づいた。

あのときはこう思っていた、今はこう思う、これからはどう思うかわからない。

こう言ってもらえることが、信頼の証だ。

自分の中での問題でしかない、矛盾への拒否感から開放できるのは他者しかいない。遠い他者はもっぱら矛盾の批判者であるが、最もそばにいる他人は矛盾こそに、愛を感じなくてはいけない。

最初から矛盾することは苦しいけれど、幸せで誠実な信頼に足る時間を積み重ねるから、矛盾は愛おしい間違いになっていくんだ。

「あなたは私に矛盾したことを言っているけれど、あなたを愛しているから許してあげる。もっと、矛盾して良いんだよ」

そう思える自分はなんて愛おしい存在だろう。

大切なことに、ふと気づいた朝だ。

第103問 平穏を求めて

平和な時間、平穏な時間を求めて生きている。

今は、刺激はうんざりで、そういうものに憧れられるほど、自分はきれいでもない。正攻法で、誠実なものを求めている。素直な謝辞、真っ直ぐな言葉、真っ直ぐな態度。それ以外のものは飾りだ。

誰かの心は人生で拾った名札のない小手技をパフォームする舞台じゃない。

心はくだらない化粧で触れるような安物じゃない。誰かにそのやり方が通じた気がしたからといって味をしめて、心と関わろうとしないで。

下になりたくない、上に立ちたい、そういう気持ちにはもううんざりなんだ。若すぎるし、愚かだ。何も知らないから、正しそうで優越的で、自分の心をくすぐるような言葉を探し歩いているから、そういう気持ちに目覚めてしまうんだよ。

それぞれに宿る価値観に貴賤はなくても、美的感性と育つ優しさ温かさはごまかせない。

なにより、人間の不完全さにいまだにうんざりする自分自身が一番幼いのだ。いつまでも現実を否定するいとぐちを探してる。こういうのともそろそろお別れしなくちゃ。

願いは、ただひどい感性のそばにいたくない、それだけなんだ。この願いと宿る感覚は絶対だれにも汚せない。静かな海ほど美しいものはない。

“You must not lose faith in humanity. Humanity is like an ocean; if a few drops of the ocean are dirty, the ocean does not become dirty.” ― Mahatma Gandhi