第154問 心に刺さる棘

怒涛のインターン期間が終わり、内定も得て、私の就活も終わった。

行く先は一応日経新聞の顧客投票とかだと業界五番手の事務所ではあるが、五大とか四大という事務所ではない事務所だ。

相性の合う素敵な事務所に巡り会えて本当によかった。

 

嬉しいニュース、楽しい時間ばかりだが、ここ数日は病んでしまう。

一つは期待を持って臨んだ外資系のとあるファームととことん気が合わなかったことが大きい。

いい言葉をかけていただいてたはずなのに、なぜかインターン中はあまり歓迎されていないように感じて、しんどかった。

こういう場所で働くのはあまりに辛いと思う反面、面接の時はあんなにポジティブな言葉をかけてくれていたのに、、、と辛かった。

端的に言えば自信を少し失うような時間だったのだ。

 

もうひとつは試験結果への不安。

冷静になると落ちているような気もしてきてしまう。

ローの同期との会話がよくなかったのかもしれない。嫌な気持ちになることが多かったし、話して不安になってしまったのだ。

 

あとは、友達の旅立ち。

最近はかなり寂しさをなんだか感じることが多い。でも誰かと一緒にいたくて寂しいわけでもない。

漫然とした寂しさが心を覆うのだ。

勉強をしなくなって何かと感じる時間が増えるとなんだか寂しくなるのだということを知った。

秋学期が始まって勉強をしていれば少しは治るかもしれない。

 

疲れたのだと思う。

疲れ切ったこの夏だった。走り切った。

いろんな大人に会った。

学びに溢れた。

でも疲れた。毎週毎週初めて会う知らない人たちと一緒に時間を過ごすのは、それはしんどいよ。

癒されたい。一人でいたい。

じっくりと太陽が海辺に沈むのを眺めるような日を過ごしたい。

家族や友達のことを思って、ありがとうと涙を流す時間が欲しいんだ。

第153問 新章

今、僕は広尾にある広い公園のベンチで涼をとっている。

暑さがここ数日ひと段落してきて一気に過ごしやすくなったので、休日はよく歩き回っている。

さっきまで一緒に東北を回った友達と一緒にいた。彼は数日後にスペインへ飛ぶ。

新しい挑戦をする彼とはいつも通りの日を過ごした。

友達と気楽に飲みに行ける日はこうやって少なくなってしまうんだなと、今一人になって寂しく思う。

昔親も言ってた。

友達とはだんだんと会えなくなっちゃうものなのよ、と。

会おうと思えば会えるじゃないか、なんて言われた当時は思ったけれど、結構正しいようだ。

 

私の人生も新章へ突入しようとしている。

事務所から内定をもらい、ある種不安要素は試験に限られることになった。

この夏は外資系事務所を周遊していて、知られていないし語られない業界を深く知った。

英語で仕事ができなくてはいけないことを改めて思い知ったし、この日本の行き詰まりを丁寧に感じている。

一つの目標としてアメリカで働きたいと強く思うようになった。

30代をアメリカに賭けてみてもいいかもしれないと思うようになった。

そういう道をどうにかして切り拓きたいとここ数日は強く思っている。

 

面白そうだと思う方に行くのが楽しいのだ。

自分は多分同じところに長々ととどまるタイプではなく、いろんなところを見て回るのが好きで、人生もそうやって生きるのが楽しいと思う。

 

安定とか手堅さを志向し始めると周りに詰まらない人間が溜まってきて、人生がつまらなくなる。

手堅さは大事だが程々のお付き合いにして、挑戦と成功と失敗につつまれる人生を歩みたい。

 

言葉で取り繕って怯えていないようにしても意味がないし、一貫性のない行為も人生を虚しくするだけだ。

自分の変化の訪れを楽しみながら、変わらない自分を温めて生きたい。

 

私は誰の人生も正当化しないし、誰かが歩いた道もあまり歩くつもりはないんだ。

第152問 愛の復活/東北に横たわるもの

3日間に渡る東北旅行が終わろうとしている。

僕は今盛岡駅でパソコンを開き、楽しかった時間を振り返っている。

 

この東北旅行は、もともと僕の後輩の女の子が飲みの場で提案してくれて、僕と親友が彼女の出身地である秋田に行くという話から始まった。

ところが、話は転じて親友の彼女も秋田に行くということになり、僕については一日早く青森に着弾し、三人で青森観光をしてから秋田・男鹿に行こうということになったのだった。

 

ただどうしたことだろう、青森を旅行中突然後輩から電話がやってきて、38度の熱があるというのだ。どうしたものだろう、と思った。

彼女は前々から聞いていた話では、8月第一週はロスに行く予定で、実際インスタグラムによればロサンゼルス旅行を大満喫していたようだった。

コロナにかかったのかは分からないけれど、電話口ではだいぶ体調が悪そうで、これでこちらにやってくるのは無理だろう、と直線で彼女の参加はキャンセルとなった。

 

もともと、意味の分からない旅行ではあってその意味の分からなさが楽しみであったから、彼女の不参加は少しさみしいニュースではあった。

けれど、2日目に大雨が降って、岩木山神社を親友と彼女が相合い傘をして参拝している姿を後ろから見たとき、僕は後輩の彼女がいなくてよかったと思っていた。

 

親友は一つ前か二つ前の恋愛で深く傷ついていた。

それは、僕からすればある種の辛い現実との対峙であったと思っている。

自分や彼を含めた仲間たちは皆そうだったと思うのだけれど、3,4年前の僕らは熱にうなされていた。

それは青春病ともいえるようなもので、自分たちにはなんでもできる、何かをなしたげたいというエナジーがそこにあった。

今となっても残るそのエナジーは、当時の僕たちの額で燃えるように盛っていたのだ。

しかし、そういう勢いみたいなものは、いつしか勢いでしかないことに多かれ少なかれ気付かされる。

例えば、学生同士の付き合いが、学生と社会人といった付き合いに変化するとき、社会人で世間を知った気持ちになった若者は、学生のことをさめざめしく思うのだ。

これは彼に限った話ではなく、僕の周りで4,5人観測した現象だ。

 

そのときに現れるすれ違いは容赦がない。

身分の違いからくる違和感という話は、それに違和感を感じないはずの人だと思って、卒業をしても一緒にいる選択をしたにもかかわらず、どうしていこうかと話し合ったにもかかわらず、その違いがどうも気になってしまうような人だったという事実が現れるからだ。

結局のところ、なんでもかんでも乗り越えられる愛ではなかったという現実を知るのだ。

 

そんな彼のそばに僕はずっといられたと、今でも自負がある。

彼はもしかしたらそう思わないかもしれない。

でも、彼がその当時の彼女を失ってしまう最後の最後まで、彼を支え続けることができたと思っている。

だからこそ、彼の背負った喪失感は僕にとってひどく痛ましいものだった。

 

 

この3日間、彼が僕に見せたのは、復活だった。

彼女と戯れて、心を開く彼の姿は僕にとって強い安心を感じるものだった。

別に比較するものなどではないけれど、インスタグラムで目にする愛のどれよりもナチュラルで安心感の深い愛が染み渡っていたように思う。

だから、僕は今、新幹線に乗って彼の姿を思い出し、彼が復活して安心して生きている姿は脳裏によぎって、心からほっとして涙が流れた。

愛に傷ついた者がたくましく立ち上がる姿は何よりも美しいと思った。

たくましく生き、何度も立ち上がる者が、美しい人生を生き、愛の通った物語を紡ぐのだと学んだ。

 

彼自身が過去に縛られているからこそ、今の幸せがあるのに間違いはない。

忘れ去ることができないものが誰にだってあるのだ。

僕自身が何度もこのブログで焼き直す物語は、まさにそういうものだと思っている。

通り過ぎた過去すら自分の体内にあるんだ、としっかりと立つ人間が美しいのだ。

 

これは、心のなかで決別した友人への反論だ。

あの日、美術館のカフェで、別の友人について語るように、「過去の話ばかりをしてはいけない」と言った彼女に対して。

忘れられない思い出があるのは、まともに生きている人間からすればむしろ当たり前で、誰かにとって忘れられない存在であることや、忘れられない誰かがいることは非常に幸せなのだ。

それが名残惜しさでも、後悔でも、今でも続く思いであっても、過去を愛する思いにできるとき、人間は美しい死に際を迎えることができるし、今日明日命を絶つことなく生きていけるのだと思う。

もっといい人生を生きたいと思う気持ちは、過去こそが与えてくれるものなのだ。

過去が消し去りたいような思い出ばかりの人間なら、わかりあえない。

他者に責任を押し付け、思い出を自分自身で汚す人間には絶対にわからないものだと思う。

 

恋愛にとどまらないのだ。

人の心に治らない傷が残ることは生きていれば多々ある。

そういう傷を優しく撫でるような人間でいたいのだ。

皮膚をタトゥーで塗り消せばいいという、いい加減さはそこにはない。

そして、あの日の自分から、遠い遠いところへ走って逃げるんだ。

 

 

東北地方、私が堪能したのは青森・秋田・岩手であってけれど、そこには多くのものが横たわっていた。

何より美味しいご飯、優しい人々、美しい景色、酔いを誘う美酒。

僕は、二人に連れられて、かけがえのない経験をさせていただいた。

自分ひとりで生きていては、決してたどり着くことのできない場所があるのだと、ずっと思った。

 

親友の彼女が運転する姿に、僕は心打たれていた。

僕の前の彼女も、車を運転してくれる優しい人だった。

「何も特別なことじゃないよ」と、彼の彼女も僕の前の彼女も言うから、どこか重なった。

僕はあの子を愛おしく思って、抱きしめた日を思わざるを得なかった。

不器用な僕らのような人間に、なんの気無しに愛を注いでくれるような彼女たちのような存在は、本当に素晴らしいのだ。

 

試験のせわしなさと、試験や就活に際して触れすぎたネットのいい加減な"現実主義"がどれほどまでに、僕に害悪をもたらしているのか目覚めるように感じた数日だった。

人を信じ、愛すること。

それが、これから僕が本当にしたいことだ。

 

いい人生を歩みたいのだ。

今は北上駅。まだ盛岡からそんなに経っていないけれど、外はすっかり真っ暗になった。

今年の夏を、僕は心から愛している。

第151問 潮時

少し前、親友と話していてこんな相談をされた。

いつしか自分の彼女に、自分にあったいい出来事の話をできなくなった。

海外で経験してきたこと、勉強する中で学んだことを伝えることができなくなって、自分の幸せを分かち合うことができないように感じるようになった、と。

 

ステージの移り変わりや、人生の景色として見えているものの違いが、大きなすれ違いを招くことは多々ある。

しかし、本質的にそこで起こっているのは単なるすれ違いなのだろうか。

 

私が思うのは、果たしてそうではないということだ。

人と人がすれ違うとき、それは恋愛関係に限らず、家族でも友人関係においてもであるが、その時本当は自分が思っていた人と違うことをはっきりと自覚するのではないだろうか。

 

自分にも最近そういうことがあった。

その友達は自分と似ている人なのかなと思っていた。でも、本当のところそうではないのだなと気づいた。

そして、自分がとても呑気で、色々と勘違いをしていたことにはっきりと気づいた。

前もそういう失望に近いものを感じたけれど、そのときは多分その人がそこらへんの女と違いがないことが認められない中であった、異性として自分の中でユニークに思う部分の喪失だったと思う。

彼女がなんら普通の女であり、むしろ自分は彼女のような女こそ嫌いなのだという失望だった。

 

今度のは、人としても色々違うのだというそういう失望だった。

受け入れがたかった。

 

親友の相談する目は、あのときとても冷たい目をしていた。

どうにかして私は彼に温かみを与えようと必死だった。

 

今日の私の目は、同じような温度を帯びているように思う。

勝手に作り上げて信じていたその友達を失って、ひとりでこの暑い東京で冷えた汗を拭った。

 

今夜は、東京を出て青森へ向かう。

ニューヨークにいる友達とラインした。

どうやら物価が高いし、チップも払わないとだし、出費が激しくて懲り懲りのようだった。

私の気持ちを言葉少なに丁寧に聞いてくれた。

人生の中で拠り所や頼れるものは、本当に少ないことを僕らは話した。

 

失ったものの大きさを受け入れられず、僕は敗走するしかないのだ。

ねぶたも舞い終わった青森に行ってすることも無かろうが、日本を離れる友人とその彼女に会いに行く。

 

ずっと来ないと思っていた時間は、どうやらやってくるのだ。

涙を拭く時間すらないことが寂しく心に募る。

第150問 20230815

今日、飲みに行く約束の前に、手持ちのビーチサンダルの底が歩きすぎて4、5個の全てが擦り切れて穴が空いているので、100円ショップに買いに行こうと家を出た。

ここ数日はタフそのもので、インターンをして会食をして面談をして、というのをぶっ通しでやり続けている。

昨日は面談して会食をして、時計を見れば開始から6時間近くが経ってた。

ここまで人柄を見てくるのも非常に面白いが、流石に初対面の先生方や学生と毎日・毎週のように仕事なり面接なり会食なりしていると、流石に疲弊してくるものだ。

やり返さんとばかりに、僕は先生方の飲むペースに合わせて酒を飲みまくっている。

今日は昼下がりに起きて、ここ数週間同様喉をガラガラにして母が淹れてくれた安いコーヒーを胃に流し込んだ。

 

お盆の期間は"PLAY HARD"という感じで、色んな予定が入っている。

どれも楽しみで、楽しく、差し障りなく過ごせたらいいなと思っている。

今日の予定もそうだ。

 

100円ショップにはもうビーチサンダルは売っていなかった。

この時期は大体そうなのだ。

夏の中頃には、100円ショップの中にはすっかりビーチサンダルを売らなくなる店がある。

もしかしたらないかも、と思いながら向かったから、特に思うことはなかった。

 

黄昏が始まる景色を見て、私は自殺した友達を思い出した。

昨日の面接で人生で一番辛かったことは何かを聞かれた時、少し家族の話をした。

事務所はストレス耐性が見たかったのだと思う。

そして、長所と短所を聞かれて、人を支えることが多いことと、それのせいで自分を犠牲にしてしまうことを話した。

人のいい先生に「いつからそうなの」と聞かれ、父が倒れてから一人の友達と悩みを話し合うようになってからと言った。

 

その友達は彼だ。

咄嗟に言葉にした話は、どこか自分の核心のようで、モヤモヤした。

私にとって一つ大きな存在であることを認めるのはいやなのだ。

同期は彼の自死という選択に敬意を払うが、僕はまだそういう気にはなれない。

お前は死ぬべきではなかったと、いまだに思うのだ。

第149問 20230730

なんだか、すごく辛い朝だった。

昨日、みんなで遊んだ帰り際から僕はすごく嫌な気持ちで、そのあと親友と二人で街をあるきまわってじゃあね、と笑顔でお別れしても、ずっと僕の心は不快だった。

寝る寸前に後輩の素敵な言葉を読んで嬉しくなったけど、結局見たのはすごく久しぶりの悪夢だった。

 

こういうふうに言葉にするのはすごく辛いけれど、同期の多くの人がなんか変わった気がした。

なんていうか、特に女の子たちが変わった気がした。不快を貨幣にするようになったんだなと思った。

私が快・不快だから、、、みたいな立ち振舞がすごく嫌だったのだ。

自分を押し殺せ、とかじゃなくて、長年続いてきたセキュアなコミュニティを、勝手に自分の中で崇高視している「女としての成熟」みたいなもので汚すんだなあと思った。

恋愛的な駆け引きを否が応でも嗅ぎ取ろうとしてくる感じも、とりあえず友達として話す安心が僕にはなかった。

 

それを核心まで感じる僕がする対応は、気づかないふりをして話すことしかなかった。

昔のように話していたかっただけなのだ。

 

関係性の主導権を握ろうとして、その握った結果が、なんだか楽しくないというのがそういう人たちのもたらすリザルトなのは、ずっと前から同じだから、こういうことがこの場所でも起こるようになったのが異常なほど悲しかった。

 

隅田川の花火大会をアップロードする振る舞いも、かっこよさそうな男性と一緒に写真に映る姿も、美術館で美術品の前で自画像を撮るのも、なんていうか僕はもう全部うんざりで、気持ち悪くて気持ち悪くて仕方ないのだ。

 

誰も幸せになりもしないこと、なぜみんな繰り返すのだろう。

幸せそうに見せるのに、なぜこんなに時間と心を割くのだろう。

もうSNSは本当に僕にとって潮時なのだろう。

 

昨日、ろくすっぽみんなと楽しく話そうともせず、見た目がきれいめな女の子をアップで撮って、ストーリーに上げていたAちゃん。

僕は、君がなんでそんな風になったのか、さっぱりわからない。

君がその写真を撮っているとき、みんなの輪から離れて、冷めた空気が流れていたのを僕は背中で感じ取っていた。

君が脚色するその動画や画像には、幸せの音が流れていないんだよ。

もう人生でやってこない大切な一瞬一瞬が、そういう無駄な見栄みたいなものに消化されるのが僕にはたまらなくうんざりで、そういう感じになった昔の友人が嫌いになりそうでまたすごく辛いのだ。

 

大切なことを、大切なんだと説明することはもう僕にはできない。

本当に手遅れなわけではないだろうけれど、人生で大切なことはなんだろう、と探そうとしなくなった人たちのそばにいるのは辛いのだ。

 

人は変わってしまうのだと、すごく辛かった。

よしみある友達としてではなく、ときに女として振る舞う女性陣が嫌だった。

みんなで来たイベントで、男だけが仕事をしてずっと座りっぱなしで、ありがとうとかあんまり言わない、その姿に僕は嫌な気持ちになっていた。

Aちゃんにいたっては、「僕が何もしない」とまで言うのだから。

 

すっかり他人を評価できると思い込んだ偉そうな人になったんだなと、僕の心はますます遠くなった。

 

帰りの最後、親友と二人きりでその日に思ったことを話した。

より女の人が嫌いになったかもしれないね、と言われて、そうなのかも、と思った。

受験勉強である意味で、ちゃんと自分が感じることをそのまま感じれるようになったのかもしれない。

ある意味で僕は、女性を女性として特別扱いして見ることはせず、男性と同じ基準で見ることが多いのだ。

そういうときに、リライアブルな友人たちと比べて感じる、女らしそうに振る舞う女が他者を幸せにしようとする心に貧しいことに、僕は幻滅するのだった。

 

若かった僕は年増の女の人たちと度々遊んだから、それなりに行く末も知っている。

だんだんと男性の目線を得られなくなることに寂しさを感じいく。

女として見られたい、という欲望が強くなって、そういう思いに支配されて少なくない時間を過ごすことになっていくのだ。

それは結婚していようが、パートナーがいようが。

きれいでかわいそうに、とそういう女たちはよく知らぬ程度のいい男に抱かれるのだ。

 

 

今日僕がここまで病んでしまったのは、Iちゃんのせいだろう。

僕の親友が元彼であるIちゃんが、最後の最後まで僕と彼と一緒にカラオケに行こうとしてしつこかった。

わかるのだ、その親友と時間を過ごしたいと思っているのが。

意味のない緩衝材に使われるのは本当に気持ちが悪くて、なによりIちゃんこそ典型的ではあらずとも、自己中な女まさにそのままに僕には思えてしまったのだ。

彼女が無邪気なふりをしてというか無邪気モードみたいなコメディをやって、人との間に存在するある種の紳士協定的なものをぶち破り、自分の価値観ばかりを押し付けるのが本当に嫌だった。

僕の親友がIちゃんをもうもはや嫌がっていることに彼女が気づかないのも嫌だった。

三人で乗る銀座線で、彼が僕の方しか見ずに話さないのが苦痛だった。

 

僕に、「今日はもう帰ろう」「二人で会ってみたら」とまで言わせて、僕が勝手に色々考えて察そうとしている、考えすぎだ、みたいな物語に書き換えようとするのが嫌だった。寝言は寝て言ってほしかった。

僕の取り計らいは自分の願うところじゃないと、不快そうに黙る彼女が心底嫌いになった。本当は、彼に会う約束を断れることが怖いだけのくせの、そういうちっぽけなプライドに巻き込まれるのが本当に嫌で嫌でたまらなかった。

僕や彼が彼女の思い通りじゃないだけで食らう、帰り道の冷や飯が許せなかった。

また俺は誰かの加害者にされるのか、と遠くに逃げたくなった。

結局、これもまた自己中な女の書く安い物語の配役の話なのかと思うと吐きそうだった。

こちらの思いなど、できるかぎりの優しさもあっちは知ったことはないのだ。

ただカラオケに行きたいだけなんて嘘を、「そうなんだね」と信じたふりをさせるわがままさに僕は本当に疲れたのだった。

 

親友と話す時間は、お互い言葉にし合うほど曇っていた。

このまま帰るのはよくない、と彼が言ってくれて、自分が鬱っぽくなっていたのがわかってもらえてよかったと思えた。

彼の優しさに感謝を示したくて、きれいな言葉で打ち消したかったけど、昨日の夜も今日の朝もそれはまだ無理そうで、楽しいい一日になる予定だった僕のウキウキは消え去り、つらくて悲しい気持ちだけがひっかかるように残っている。

第148問 懐かしさ

最近、朝に起きて家で勉強していると、とても懐かしい気持ちになった。

自分の部屋からした香りと窓から差し込む朝陽の眩しさと温かさで、僕は中学と高校時代をふと思い出した。

僕の中高時代は、ひたすらテニスに明け暮れる日々だった。

朝から晩までずっとテニスをしていた。

家が大変でそれから逃げるようにしていた部分もあるとは思うけれど、父親が病気で倒れる前ずっと前から僕はテニスにのめり込んでいた。

夏休みはもう学校がないから、朝からみんなで練習していた。

中学高校って3学期制だから、7月の前半にはもう1学期が終わって、夏休みが始まる。

あの朝練に行く日々の朝を思い出した。

毎日が楽しかったあの日々の朝。

 

なぜあの気持ちを思い出したのだろう。

ふと考えてみると、今の勉強の日々が僕にとってはとても楽しい日々になっているからだった。

たしかに、スポーツとこの勉強はとても似ていて、共に日々の着実な練習や努力がそのまま自分の力に変わり、毎日頑張っている自分の姿に自信を手に入れていく。

思い返すと、なんて美しい日々だったのだろうか、と思った。

テニスを通して僕は僕自身と必死に向き合っていた。

それはそのまま今の自分でもあるのだと気づいた。

自分自身に向き合うのは、何か手段が必要で、自分の考えていることについて自分を糾問しても、それは同じ自分が散らばっているような感じなのだ。

むしろ、自分の変化を望む自分と、変化をしていく自分がそれぞれ別に存在していて、自分が自分を変えていくようなそういう対面的な構造において、自分との対峙を感じる。

 

あの時の自分は毎日一生懸命テニスしている自分が大好きだったのを思い出した。

色々なことを感じて、心が一杯になりすぎて、いろんな人に傷つけられて、いろんな人を傷つけて、すっかり自分は自分を好きな気持ちを忘れていたことに気付かされた。

僕は、僕を勇気を持って信じて、毎日努力する自分が好きなんだ。

 

人生は無常で無情だが、そういう毎日を愛することのできる自分がそばにいてくれれば、きっと大丈夫かもと少し楽になった。

 

朝陽の差し込んだ僕の部屋の香り。

美しい自分を思い出した。

 

そんな朝だったから、好きな香水をふった。

この香水はとても評判がいい。

僕の肌に合っているのだろうか、いい香りだねとよく言われる。

もしかしたら、ただ僕のことが好きな人だから、本能的にそう香っているだけなのかもしれないけれど。

 

対比的な香りを感じ、まとい、

僕は自分の中でずっと変わらない美しいものと、生きてきて自分に増えた美しいものを、握りしめるように触感する。