第165問 C’est la vie

さっき叔父から電話があってお婆さんが亡くなったらしい。

デイサービスから帰って来て、1人で風呂に入ろうとして溺れてしまって、浴槽で浮いた状態で亡くなっていたそうだ。

叔父さんも取り乱していて、母とは連絡がつかないので、と僕に連絡をよこして来た。母は携帯を見ない人なので仕方ないが、母に悲しい知らせをする役割を僕が担うことになるなんて。

僕は旅行で今フィレンツェを訪れていて、もっといえばこの文章を書いているのはローマに向かう特急電車の中である。

 

母親が心配だ。

弱い人だから、きっと助けを求めてる。

一応予定としてはもう二、三日で日本に帰る予定で、タイミングとしては最悪というわけではない。予定した通りに帰国して、そのまま葬儀に参加しようと思っている。

僕が帰るまでの間、彼女はちゃんと持ち堪えられるだろうか。

一人で過ごすことができるだろうか。

 

涙は出ていない。

ただまたこうやって揺らぐ僕の人生をただ見つめるのみである。

一難去ってまた一難。

この連続である。悲しみは枯れぬ。

 

ローマでまた彼女と落ち合うけれど、言うべきだろうか。せっかくの雰囲気が台無しになってしまうような気がするし、なにより一から家族の話をするのも今じゃない気がする。

ただ祖母が死んでしまって忙しくなりそうだということは伝えるべきであるようにも思う。

 

まだ言葉にしきれない思いがたくさんこの旅行にはあるのに、重たいものをまた背負うことになった。

僕の人生はいつだってこうだ。

 

たまに、こういうときに誰かに助けてって叫びたくなるんだ。

高校生のとき多分誰にも言えないけどずっと叫んでた。誰かに助けてほしいって。

でも誰にも届かないし、助けられない。

本当に悲しい時はそういう気持ちになるものだ。

 

うん、また思い出した。

僕は高校生の時に誰かに助けて欲しかったんだった。

 

いまはもはや僕が家族を助ける番になろうとしている。時は経つ。

僕はちゃんと生きてくための力がついただろうか。

 

もっともっと僕はこの旅行であったこと、会った人とのことちゃんと考えて言葉にしたいのに。

もはやそういうものさえも僕は人生に奪われるのだ。

強くなったけれど、自分の人生の切なさに少し寂しくなった。