第149問 20230730

なんだか、すごく辛い朝だった。

昨日、みんなで遊んだ帰り際から僕はすごく嫌な気持ちで、そのあと親友と二人で街をあるきまわってじゃあね、と笑顔でお別れしても、ずっと僕の心は不快だった。

寝る寸前に後輩の素敵な言葉を読んで嬉しくなったけど、結局見たのはすごく久しぶりの悪夢だった。

 

こういうふうに言葉にするのはすごく辛いけれど、同期の多くの人がなんか変わった気がした。

なんていうか、特に女の子たちが変わった気がした。不快を貨幣にするようになったんだなと思った。

私が快・不快だから、、、みたいな立ち振舞がすごく嫌だったのだ。

自分を押し殺せ、とかじゃなくて、長年続いてきたセキュアなコミュニティを、勝手に自分の中で崇高視している「女としての成熟」みたいなもので汚すんだなあと思った。

恋愛的な駆け引きを否が応でも嗅ぎ取ろうとしてくる感じも、とりあえず友達として話す安心が僕にはなかった。

 

それを核心まで感じる僕がする対応は、気づかないふりをして話すことしかなかった。

昔のように話していたかっただけなのだ。

 

関係性の主導権を握ろうとして、その握った結果が、なんだか楽しくないというのがそういう人たちのもたらすリザルトなのは、ずっと前から同じだから、こういうことがこの場所でも起こるようになったのが異常なほど悲しかった。

 

隅田川の花火大会をアップロードする振る舞いも、かっこよさそうな男性と一緒に写真に映る姿も、美術館で美術品の前で自画像を撮るのも、なんていうか僕はもう全部うんざりで、気持ち悪くて気持ち悪くて仕方ないのだ。

 

誰も幸せになりもしないこと、なぜみんな繰り返すのだろう。

幸せそうに見せるのに、なぜこんなに時間と心を割くのだろう。

もうSNSは本当に僕にとって潮時なのだろう。

 

昨日、ろくすっぽみんなと楽しく話そうともせず、見た目がきれいめな女の子をアップで撮って、ストーリーに上げていたAちゃん。

僕は、君がなんでそんな風になったのか、さっぱりわからない。

君がその写真を撮っているとき、みんなの輪から離れて、冷めた空気が流れていたのを僕は背中で感じ取っていた。

君が脚色するその動画や画像には、幸せの音が流れていないんだよ。

もう人生でやってこない大切な一瞬一瞬が、そういう無駄な見栄みたいなものに消化されるのが僕にはたまらなくうんざりで、そういう感じになった昔の友人が嫌いになりそうでまたすごく辛いのだ。

 

大切なことを、大切なんだと説明することはもう僕にはできない。

本当に手遅れなわけではないだろうけれど、人生で大切なことはなんだろう、と探そうとしなくなった人たちのそばにいるのは辛いのだ。

 

人は変わってしまうのだと、すごく辛かった。

よしみある友達としてではなく、ときに女として振る舞う女性陣が嫌だった。

みんなで来たイベントで、男だけが仕事をしてずっと座りっぱなしで、ありがとうとかあんまり言わない、その姿に僕は嫌な気持ちになっていた。

Aちゃんにいたっては、「僕が何もしない」とまで言うのだから。

 

すっかり他人を評価できると思い込んだ偉そうな人になったんだなと、僕の心はますます遠くなった。

 

帰りの最後、親友と二人きりでその日に思ったことを話した。

より女の人が嫌いになったかもしれないね、と言われて、そうなのかも、と思った。

受験勉強である意味で、ちゃんと自分が感じることをそのまま感じれるようになったのかもしれない。

ある意味で僕は、女性を女性として特別扱いして見ることはせず、男性と同じ基準で見ることが多いのだ。

そういうときに、リライアブルな友人たちと比べて感じる、女らしそうに振る舞う女が他者を幸せにしようとする心に貧しいことに、僕は幻滅するのだった。

 

若かった僕は年増の女の人たちと度々遊んだから、それなりに行く末も知っている。

だんだんと男性の目線を得られなくなることに寂しさを感じいく。

女として見られたい、という欲望が強くなって、そういう思いに支配されて少なくない時間を過ごすことになっていくのだ。

それは結婚していようが、パートナーがいようが。

きれいでかわいそうに、とそういう女たちはよく知らぬ程度のいい男に抱かれるのだ。

 

 

今日僕がここまで病んでしまったのは、Iちゃんのせいだろう。

僕の親友が元彼であるIちゃんが、最後の最後まで僕と彼と一緒にカラオケに行こうとしてしつこかった。

わかるのだ、その親友と時間を過ごしたいと思っているのが。

意味のない緩衝材に使われるのは本当に気持ちが悪くて、なによりIちゃんこそ典型的ではあらずとも、自己中な女まさにそのままに僕には思えてしまったのだ。

彼女が無邪気なふりをしてというか無邪気モードみたいなコメディをやって、人との間に存在するある種の紳士協定的なものをぶち破り、自分の価値観ばかりを押し付けるのが本当に嫌だった。

僕の親友がIちゃんをもうもはや嫌がっていることに彼女が気づかないのも嫌だった。

三人で乗る銀座線で、彼が僕の方しか見ずに話さないのが苦痛だった。

 

僕に、「今日はもう帰ろう」「二人で会ってみたら」とまで言わせて、僕が勝手に色々考えて察そうとしている、考えすぎだ、みたいな物語に書き換えようとするのが嫌だった。寝言は寝て言ってほしかった。

僕の取り計らいは自分の願うところじゃないと、不快そうに黙る彼女が心底嫌いになった。本当は、彼に会う約束を断れることが怖いだけのくせの、そういうちっぽけなプライドに巻き込まれるのが本当に嫌で嫌でたまらなかった。

僕や彼が彼女の思い通りじゃないだけで食らう、帰り道の冷や飯が許せなかった。

また俺は誰かの加害者にされるのか、と遠くに逃げたくなった。

結局、これもまた自己中な女の書く安い物語の配役の話なのかと思うと吐きそうだった。

こちらの思いなど、できるかぎりの優しさもあっちは知ったことはないのだ。

ただカラオケに行きたいだけなんて嘘を、「そうなんだね」と信じたふりをさせるわがままさに僕は本当に疲れたのだった。

 

親友と話す時間は、お互い言葉にし合うほど曇っていた。

このまま帰るのはよくない、と彼が言ってくれて、自分が鬱っぽくなっていたのがわかってもらえてよかったと思えた。

彼の優しさに感謝を示したくて、きれいな言葉で打ち消したかったけど、昨日の夜も今日の朝もそれはまだ無理そうで、楽しいい一日になる予定だった僕のウキウキは消え去り、つらくて悲しい気持ちだけがひっかかるように残っている。