第56問 人を愛するということ

色々なことを見聞きしたので、すこし書こうかなと思った。あの人に読んでほしいけれど、今は無理そうか。

人を愛するというのは、どういうことなんだろうか。それは愛し合うということではない。あくまで自己本位な問題として捉えたい。

自分のことを深く理解してくれる、自分のことのように痛みを分かち合い、涙を流したり、喜びをてのひらで手の甲で感じることのできる、してくれる、そういう人間を私たちは愛するのかもしれない。それは同時的に、我々の痛みや喜びをその人に開示することも意味している。

書いているだけで切ないけれど、愛するってのはなんて厄介なことなんだろう。

自分の懐に他人を入れなくてはならない、それだけでもすごく時間がかかるのに、思いが重ならないと自分は強く傷ついてしまう。

そう思うと自分は人を愛したことは一回しかないかなと思う。それはまあ、それでいいんだけど。

あの時に感じた瞳がどれほど自分の脳裏に焼き付いたとしても、相手には何が焼き付いたのか全くわからない。目に入った大きなイヤリングも、透き通るほど白い肌にはひと塗りだけした口紅も全部自分の目にしか写ってない。相手の目に焼き付いたのはなんなんだろう。そして何を思うんだろう。

心の距離が近づくというのは凄いことだ。それだけで本当はノーベル賞を取れるレベルで、芥川賞を取れるレベルで自分の人生にとっては素晴らしいことだ。

二人で歩いた街並みをまた歩くと、その時の記憶がそのままに私たちの脳みそを切り開いてくる。

夜の日本橋も、夕方の九段下も、私にとっては少し大切な空間なのかもしれない。

一人で見た一色の海も、愛だとかそういうの抜きにして色が抜けない。

場所と人間、不可分なのか。