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第12問 部長

Facebookに投稿してやろうかと思ったが、この城で。

昨日は今の部長と、今日は一つ上の部長と、飯を食った。昨日部活に顔を出したのだが、正直な話部活は大分装いを変えていた。多分性根が生意気な人間には、老害と罵られるだろうが、やはり部として守るべき規律はある。運動部である限り、ある種の厳格さは保たなくてはならない。この理由が分からない人間は今すぐグーグルで調べたまえ。何を大切とするかは確かに自由ではある。でも守らなくてはいけないことはある。例えばテニスコートに背を向けて話す行為。これは上の部長と一致した意見だが、やはり人としての資質を問われる。集合をかける際に走らない。集合をかけた後に喋る。なんだろう、人としての問題を感じる。自分は啓蒙主義的人間であることは自認するが、やはりそれ抜きにして守らなくてはいけない伝統やそれに付随する規律はある。

今の最高学年が16人いることを加味すれば、確かに部の運営はとても大変である。OBとしてもあまり口を出したくない。でもそれを超えて残念である。部として大切なものが欠けている。そしてその大切なものをわざわざ説明しなくてはいけない悲しさ。理由を説明しなくてはいけない寂しさ。今の子供はなぜ理由を求めるのか?理由を必要とする姿勢は知性を求めるそれとはならない。むしろ受け入れる姿勢こそ実は知性を得ることにつながる。柔軟性が問われる世の中だが、柔軟性とはそういうことを指すのでは?

何より一つの代が消えたこと。これは一つ下の責任である。申し訳ないが、色々な面で認めてあげられることはあるけれど、これに関しては無理である。直接批判になるから躊躇われるが、やはり退部する人間を引き留めるのは部長の役割だし、代が消えるまで人がいなくなることを「個人の自由」で正当化することは不可能である。ただの責任放棄である。部を去る人間の気持ちがきっと分からないのだろう。あれほどテニスを愛していた子たちが消え去る。彼らを代償にしてまで守りたかったものはなんなのだろうか。青春をかけてテニスをしていた子供達以上に大切なものとは?私には分からない。居場所を失う。これ以上に辛いことはない。最後の砦となる人間が肩を押してどうする。はたまた目障りだったのだろうか。もしやすると部長が全く全員が善人であるとするのは間違いなのかもしれない。

そして今の部長の抱える悩み。やはり一つ下が崩した規律を取り戻すのには、一人の力では難しい。たくましく厳格さを求める人間が増えなくてはいけない。少数で考えを煮詰めなくてはいけない。専制は時に必要だし、政に見合わない最高学年だって存在する。皆が平等が不可能なのは、皆が等しく部活を思っていないことが証明している。

正直に言えば、私は一つ下には裏切られた形になる。これは今まで表現してこなかったけれど、今の状況はこう言わなくてはいけない状況だと考える。時の流れ、と言い訳するのは本当に簡単で、誰にもできるからその分多数決的な正しさが付いてくる。もちろん静観する必要もその言葉には付いているけれど。でも、自分は本当に部活のことを大切に思っているからこそ、直接は関わらないけれど、思いを伝えるという形で何かできたらと思う。部活としてのあり方は、実はある程度決まっている。それに沿えるか、沿えないかで後の評価が決まる残酷さは厳しい。自分はいまそれに加担しようとしているが、このままのナンテ部にナンテ部としての跡が残らない危機に比べれば容易い。仲の良さを超えたそれすらもきちんと内包する何かを、現役の子たちには見つけてほしい。

久しぶりに熱くなった。でも、やめた彼らを思うとどうしても。格好悪いな、俺は。