第88問 昔の香り

七月に祖父の一周忌を終えた。

こじんまりとしていた。去年の今頃に、ヘルマン・ヘッセの『知と愛』を必死に読んでいたのを思い出す。同じぐらい湿っぽい夜に、同じような布団に寝ていた。

三十三回忌を経ると、人は輪廻転生が叶うらしい。今から三十ニ年後、人は人の死を忘れることができる。線香の香りとどこか聞き入ってしまう経が、いつもと違う時間をつくりあげた。

それが終わって、親を残して、自分だけ帰る。夜は、久しぶりに旧友に会って、お互いの話をした。

お互い愛に苦しんでいた。

悩み苦しむことが違くても、お互いが苦しんでいることに、思いを馳せた。

いつか紹介してもらったブルガリの香水を嗅いだ。
「優しさ」や「心の広さ」を象徴するような香りらしい。
祖母が昔付けていた香水によく似ていた。
男性用に使われますか?という言葉の意味が、少し深くなる。

第87問 ボート

昨日見た夢のこと

やっと会いたい人に会えていた
抱きしめて、その髪を掻き上げたんだ
劇場の観客席のような場所で、ひと目も知らず抱きしめあった 

場面は飛んで、いつか約束した海に来ていた
俺の見知らぬ洞穴を、夕焼けを過ぎて宵の中訪れていた
洞穴の中の壁は白く、海は深く青い

ポケットに入っていた財布にはたくさんの小銭が入っていて、重い
君と乗るボートを借りるため、舟守に小銭で払った
横顔が黒い髪で隠れ、目元が微笑みで緩んだ

きれいな海
古びたボートを静かに漕いだ

第86問 時間が流れる

近頃は時間が流れるのを待ってほしいと思う瞬間と、さっさと過ぎ去ってほしいと思う瞬間で、まだらに時間への思いが心を埋めている。

今日の昼は本当にいい天気だった。聴く音楽全てが美しい音楽に思えて、生きているのが素晴らしいようなそんな気持ちになるような日だった。

日が暮れて夜になって、自分の部屋の電灯が壊れてしまったことに気づき、蛍光灯の不調だと思って買いに行った。付け替えたけれど、どうやら電灯本体の故障らしくて明日また買いにいかなくちゃいけない。勉強が邪魔されて、嫌な気持ちになった。

勉強をしてないと不安になるし、寂しい思いが湧き出てくる。

勉強をしている時は時間が流れないでほしいと心から思うけど、勉強をしていない時は時間さえも忘れたくなる。

なぜこんなに寂しいのだろう。

人と会えない寂しさなのか。

こんな寂しい思いをすることになるなら誘いに乗らなければよかった。寂しいと寄りかかることすら出来ないのが、一番寂しいように思う。

生きる寂しさが滲み入る夏の只中で、俺はどう生きるのがいいのだろうか。

明後日は仲間と久しぶりに会える。ずっと会うのを我慢していたし、神様も許してくれるだろう。

海岸まで押し寄せた波が、広い海へ引いていく。砂をかき混ぜながら、沖へ沖へ波が戻っていく。

第85問 2020年6月のお気に入りの自文拙文

自分が最近友達にあてて書いたお気に入りの文章。

 

1. ルッキズムと私達

個人的な意見だけど、見た目の美しさは人間の内面の美しさと結びつく時こそがその価値を最も発揮するわけであって、心が腐った外面の美しさは悲しいかな、心の汚さを煌々と照らし出してしまう。
外面の美しさはいわば心を照らすためのライトに過ぎない。そしてその光に多少の強弱はあれど、皆その輝きを持っている。
そして現実においてもそうなように、ライトはたまには綺麗に磨いてやればより明るく見えるんだと思うよ。

 

2. 支援を受ける人への眼差し

友達のFB投稿。
結構俺もすごい似たようなことを思う。
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母子家庭で障害者の妹がいることは、世間的にはあまり良いこととして映っていないのだろうか。
最近、こんなことを言われた。
「私学行って海外研修も行っていたのは、どうして可能だったの?」
「自分は裕福な家庭に育ったから不思議はないけど、ひとり親家庭で裕福ではない育ちなのに自分とそこまで変わらない生活観を持っているのが不思議だなと思って。」
私の返答
「大学の時自由にできたのは奨学金を頂いていたから。研修は学校から補助を頂いていたし。」
「祖父母と同居させてもらい、母と祖父母の貯えで生活できた。学費と食費にお金をかけてもらってここまで来たから、学力や味覚・食生活の面で他人と対等に話ができる。私は自分を貧しいと感じたことはないし、心はお嬢様だと思っている。」
今までこんなこと言われなかったのに、実はずっとこう思われていたのかなとびっくりした。
人付き合いにおいて「君はいい家の出ではない」「育ちが違う」というニュアンスで話をされた経験なんて初めてで悶々としている。私はそこまで深刻に捉えていなかったんだけどな……
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それへの知り合いのコメントも頷ける。
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私も、他の人と何ら変わりのない夢の一つに「幸せな家庭を築くこと」を挙げたら、拡大解釈されて「幸せな家庭に育ったから幸せになりたいと思ったことがない。苦労したんだね」って同情された時悶々としたなあ。海外進学に関しても、よく「(母子家庭なのに)お金持ちだね」って言われる。
XXちゃんと同じく奨学金頂いてるし、幸い特に不自由なく過ごしてきたから、偏見って凄いんだなあと思わされるよね。私は、近しい人だとやんわりと想像力の欠如を指摘するようにしてるけど、近しくない人に言われたら流すようにしてるかなあ。もやもやして当たり前だと思う。
数字で見れば母子家庭なんて大して珍しくもないのに偏見が強いのは何故なのかなあと思ったりするけれど、時代と社会が追いついてないなあ、くらいにおもって流すのが一番だと思う。 
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俺の考えとしては、「普通がいいんだ」「普通が当たり前なんだ」っていう人の周りには、そういうプライベートなことを打ち明ける/打ち明けられる機会がないんじゃないかな。
目の前の人の話に、一般論をぶつけてしまうのはわからなくはない話ではある。
ただ、社会が人を支える仕組みとか知らないのに、人が人を支える形ってほんとさまざまあることをちゃんと知らないのに、誰かに幸せにしてもらっている人に「あなたは幸せにしてもらってるんだね」ってわざわざ言うことの意味って何?と思う。
生活保護の人の話もそうだけど、社会保障をうけている人とか、誰かの支援を受けている人に対して、「お前は支援を受けているのだから、こう生きろ」という価値観を持つ人が結構いると思うんだよね。
そういう考えを持っている人は本当に知らないんだよね、目の前の人がどういう思いで生きていて、社会をどういう眼差しで見ているのか、とか。
心のうちに秘めている感謝とかそういうものが、自分の目に見えないから、感謝してないように見破った気持ちになったりするのは、傲慢だなと思う。

 

3. 星野源とBLM

miyearnzzlabo.com

こういう大人にならなくては。
真剣に考えているときに言えることが少なくても、「真剣に考えている」と伝えることってとても大事なんだな。 
その言葉を信じてもらえるような人間として生きていくということなのだと思った。
何を言うかっちゅうよりは、どんなことをしても他者に信じてもらうことのできる人間であることも大切なのかもしれない。
自分が、オバマを信じる理由もそこにある気がしたわ。
終わらないフェイクのラベルのなすりつけ合いに勝つ方法の一つかもしれない。

 

 

第84問 優しさは連鎖して

週に一回する電話は今日はなかった。

朝からずっと泣き続けていた自分としては、今日一日は一人の時間にしたかったから、それでよかった。物思いにふけりたかった。

その友達も今夜は、誰かのそばでその人の涙を拭いているらしい。

優しさは伝播して広がっていく波のようだ。

海の波の表現を思い出す。三島由紀夫の書いた海の波。

ここにすこしだけ引用しようと思う。

海はすぐそこで終る。これほど遍満した海、これほど力にあふれた海が、すぐ目の前でおわるのだ。時間にとっても、空間にとっても、境界に立っていることほど、神秘的な感じのするものはない。海と陸とのこれほど壮大な境界に身を置く思いは、あたかも一つの時代から一つの時代へ移る、巨きな歴史的瞬間に立会っているような気がするのではないか。そして本多と清顕が生きている現代も、一つの潮(うしお)の引き際、一つの波打際、一つの境界に他ならなかった。
……海はすぐその目の前で終る。
波の果てを見ていれば、それがいかに長いはてしない努力の末に、今そこであえなく終わったかがわかる。そこで世界をめぐる全海洋的規模の、一つの雄大きわまる企図が徒労に終るのだ。
……しかし、それにしても、何となごやかな、心やさしい挫折だろう。波の最後の余波(なごり)の小さな笹縁は、たちまちその感情の乱れを失って、濡れた平らな砂の鏡面と一体化して、淡い泡沫ばかりになるころには、身はあらかた海の裡へ退いている。
かなりの沖に崩れかかる白波から数えて、四段か五段の波のおのおのが、いつも同時に、昂揚と、頂点と、崩壊と、融和と、退走との、それぞれの役を演じ続けている。
あのオリーブいろのなめらかな腹を見せて砕ける波は、擾乱であり怒号であったものが、次第に怒号は、ただの叫びに、叫びはいずれ囁きに変ってしまう。大きな白い奔馬は、小さな白い奔馬になり、やがてはその逞しい横隊の馬身は消え去って、最後に蹴立てる白い蹄だけが渚に残る。
左右からぞんざいにひろげた扇の形に、互いに犯し合う2つの余波は、いつしか砂の鏡面に融け入ってしまうが、その間も、鏡のなかの鏡像は活発に動いている。そこには爪先立った白波の煮立つさまが、鋭利な縦形に映っていて、それがきらめく霜柱のように見えるのである。
退いていく波の彼方、幾重にもこちらこちらへと折り重なってくる波の一つとして、白いなめらかな背(そびら)を向けているものはない。みんなが一せいにこちらを目ざし、一せいに歯噛みをしている。しかし沖へ沖へと目を馳せると、今まで力づよく見えていた渚の波も、実は稀薄な衰えた拡がりの末としか思われなくなる。次第次第に、沖へ向かって、海は濃厚になり、波打際の海の稀薄な成分は濃縮され、だんだんに圧搾され、濃緑色の水平線にいたって、無限に煮つめられた青が、一つの硬い結晶に達している。距離とひろがりを装いながら、その結晶こそは海の本質なのだ。この稀いあわただしい波の重複のはてに、かの青く凝縮したもの、それこそは海なのだ。
p271『春の雪』(新潮文庫版)

俺の優しさも人からもらったんだったと、思い出したのだ。

もらったものしか与えることはできない。

第83問 幸せなのを確かめて

君が俺を呼んだけど

幸せだって言われたら、自分の幸せに気づくしかないじゃないか

自分がどれほど幸せか知ったら、君が幸せなことが嬉しいだけじゃないか

でもどうしてこんなに悲しいの

一緒にいるのにね

俺は人を幸せにしたいんだ

そのために生きてる

まだ何もできてないよ、ごめん

ありがとうもちゃんと言えないなんて

 

俺は明日死んでいいと思ってる

この3ヶ月がそう教えてくれた

悔いなく生きろって

だから高望みしないんだよ

今が幸せで、それ以上要らないんだ

だけどそれが悲しくて悲しくて涙が

 

なぜ泣いたんだろうね

君の優しさを身体一つ分離れたベットで感じた

本当は抱きしめたかったけど、幸せだったからやめた

何も伝わってないね結局

俺には優しさ伝わってたのに

ほんとださいね、ごめん