第72問 20190713 祖父の死

これはもともとは自分の手帳に書き記したもので、誰かに見せようと思って精巧したものでもなんでもない。

ここへその文章を残すことが、何かしら、小さな救いのようなものを求めるのか、それとも手帳に埃がかぶる未来が寂しいからなのか自分自身も皆目見当がつかない。

僕という人間を少しだけ多く知ってくれようとする人に、読んでもらえたら嬉しいと思って、キーボードを打つ。

もしやすると気が変わって、明日には消してしまうかもしれないし、ずっと残すかもしれない。本当に何の気なしに、気持ちの流れるままに書き、ここに上げていて、そこに深い恣意はないから、それ以上僕の心を詮索しようと無駄である。

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20190713 祖父の死

 

12時ごろ。

母の実家にいる。

家の中に線香の香りが立ち込み、どこか静かで生暖かい時間が流れる。

祖父の遺体を前に、その顔にかかる布切れをめくり、その顔を見ると、自分でも驚くほどに涙が出た。

数週間前、病院で祖父に会ったときには、わからない感情だった。

彼の遺体を前に湧き出た思いをそのままに書き残すとすると...

純粋に彼は自分にとって家族だったのだなと思う。

十代にかけて崩れていった自分の"家族"という概念は、どこにどんな破片が残っているか自分自身でも見当がついていない。

ただ祖父の冷めきって青くなった、これからはもうとうに動かないだろう彼の顔を見ると、僕は何かを思い出したように泣いたんだった。

行きの車の中で母親から聞いた話では、祖父は若いうちに多くの兄弟・姉妹を病気や戦争、事故で亡くしたらしい。彼の若かりしきつく辛い時代を思うと、彼が自分に語りかけた言葉の重みは計り知れない。

そういう人生の話で言えば、僕のそれは祖父に似たのかもしれぬ。

家族や愛する人に向き合う不器用さも、彼に似たのかもしれぬ。

 

自分にとっての家族とやらがなんなのか、何度も何度も考えさせられる。

誰も座っていないマッサージチェアを見ると、そこに祖父の面影を感じる。

 

窓の外を見ると、二匹の蝶が踊り、交尾していた。

梅雨の合間の少し晴れた日に、回る扇風機の音を聞きながら、祖父を思う。

──── 勉強しろよ、脳みそだけは誰にも盗まれないんだから 

いつもいつも会うたびにそう言った。

祖父との深い思い出はない。彼はそういう人だった。

たまに少しの会話をするだけで良かった。

そういう家族だっていいじゃないか。そういう家族もいい。

 

病室にいた祖父を思い出せば...

僕が初めて病室を訪れた時、僕はよく祖父に話しかけた。

ロシアやインド、アメリカに行った時の話。僕が素晴らしい友に囲まれている話。家族の話。

異国には日本にはない経験、人、言葉が溢れている。インドは人でごった返しているし、ロシアは美しい景色で溢れていて、アメリカはいろんな人間がいる。

齢二十の瞳に映った景色を必死に、美しく、それらしく伝えた。

僕の友は辛い時も喜べるときもそばに居てくれた。中学・高校・浪人・大学、全てにおいて豊かな仲間に恵まれた。どこのどいつをとっても、どこに出そうが恥ずかしくない奴らばかりだ。僕は彼ら、彼女らに育てられたといってもおかしくないかもしれない。今日、自然に母のキャリーバックを引いた時、ふとそう思った。

 

こういう話をすると、横たわる祖父はポロポロポロポロと涙をこぼすのだった。

口があまり回らなくても、話はよく聞こえているらしかった。

どこかで聞いた話で、人間が死ぬ時最後まで残る五感が聴覚らしい。

その時はすぐ死ぬとまではいかなかったけれど、彼はきっと僕の話をよく聞いてくれていたのだろう。

 

人の死がこうもまざまざと己の人生に入り込むのは、久方ぶりだった。

一年前の友人の死は、自分にとってはもはや概念だったし、それ以外の死は空想だった。

若かりし血が滾るような時期は、さほど死は近い存在でなくていい。

 

でも大切な人がいなくなってしまうことの悲しみにひたること、これは己がどんな年齢だろうとも変わらない、人生の避けがたい起伏なのである。

 

 

 

一歌。

 

下野の三毳の山の小楢のす

まぐはし児ろは

誰が笥か持たむ

 

万葉集 巻一四 三四二四

第69問 オレンジの日

今日は、ぐるぐると皇居の周りを歩き回るような一日だった。

都会の美しい夕日が差し込んで、大手町のみなもがオレンジ色に輝いていた。

隣りにいる人にふと「母の日に、何がほしいだろうかな」と聞いたら、「手紙なんかいいんじゃないの」と言われた。なるほど、自分だけならもっぱら書くことはないけれど、こうして誰かに言われて書くならいいか、と言い訳ができた。

母に短い文章をしたためることにした。夕暮れに手紙とボールペンを買って、口で言うのもきがひけるようなことをそそくさと書いて 、封をした。

ティービーワンダーの"Signed, Sealed, Delivered"を口ずさんで、いつもの帰り道を帰った。

いつになく手紙にしようと思った理由は実はこれだけじゃなかった。

今日の朝、ダイニングのテーブルに一つ読みかけの手紙がおいてあった。しばらく会っていない遠方の祖父からの手紙である。

昔は達筆だと言われた彼の文字はどこかその齢を匂わせるように、ほそぼそとしていて、私の家族のカタチがいつになっても変わらないことはないのだと分からされるようなものだった。

私が書いた手紙が朝焼けであるなら、祖父の手紙は夕焼けのようなものだ。

不思議なもので、私が選んだ便箋の色は橙だった。

今日はオレンジの日だった。

 

第68問 巡る

例え話には、人の心の美性を感じさせる独特なものがあります。

年の瀬になると多くの人に会いますが、馴染みの深い人たちとの掛け合いの中で溢れる例え話は、一興です。
楽しくてたくさんたくさん話しますが、残してくれた例え話が一番僕の脳裏に焼き付きます。


ホットチョコレートカップは人のようであり、海は嘘を見抜く人のようであり、蠟燭は愛のようであるのです。


とりわけ20歳の自分に焼きついたのは、関係性が糸のようであるという例えです。
人と人とが出会えば、その間の糸は太くなったり細くなったりする。でもその糸は切れることなんてないんだ、と。


行き過ぎたロマンティシズムは、時に人に突き放されてしまうけれど、乾杯されたグラスと寒い夜更けの前ではそのようなことはあまりないのです。


自分の側にいてくれている人の心の美しさに、再び心奪われる歳の暮れでした。

第67問 脱ぐ

Breakthroughの適切な訳語は何に当たるのだろうか。ふと考えてみたけど、最近しっくりくるのは「脱皮」だ。

今に至るまで何回の脱皮をしてきたか、って言われると頭の中でもわもわと振り返るストーリーが出てくるかもしれない。

未来のことを最近はよく考える。「○○な人間になりたい」という強い思いがじわじわと血脈のなかを通って体中を回る。
その一方で、過去に思いをはせる自分がいて、街を歩くとその時に抱えていた思いや、隣を歩いていた人と交わした会話をたくさん思い出す。

未来のことばかりを考えると少し不安になるけれど、脱いできた皮の数と今の表皮の堅さがどこか自分に自信を与えてくれる。

これから何回また苦しい思いをするのかわからないけど、深い悲しみを経験するだけひとつだけ優しくなれる。ずっとずっと優しい人間でいたい。ずっとずっと優しさだけは忘れずにいたい。

人と過ごす時間をなでるように大切にしたい。
いつ死ぬかわからないから、周りにずっと幸せでいてほしい。

今の自分にとっての幸せは知性や人間としての賢さが欠かせないから。こだわる。

男にせよ、女にせよ、背負ってきた悲しみの数で人間は語られるだろう。
目尻から、心臓から流した涙の量が皺の数になる。

君の手のひらは、堅いだろうか。

 

第66問 寒空が近づいて

どれだけ耳の中を好きな音楽でかき回そうが、どうしても蓋の隙間から入り込んでくるようである。

別に意識的に考えないようにしていても、寒さは無意識に刺さるようにやってくる。

冷たくなった指をこすると、長くなった爪が瞳に反射する。

ペットボトルの蓋をきつく締める。

溢れかえってしまうなにかがボトルのなかにあるのを感じる。あたたかいコーヒーを闇雲に飲んで、寒空を行き先も決めずに歩く。

どうしようもない終わりを迎えるのはもう嫌で、どうにか温かいものをカップに注ぎたい。

目尻には涙ではなく、笑みの後を残し。

つま先には伸びた爪でじゃなくて、歩き疲れた豆をのこして。

寒空には温かい気持ちで敵わなくちゃいけない。

日に日になんとなくじゃなくなっていくのを感じながら、手のひらが固くなっていくのを感じながら。

胸が脈打つ。

全てはあるがままで。

第65問 感じて

当たり前で、言ったら興ざめなことはある。

でも言いたくなったしまう。そんなことはここに書いてしまう。

自分の周りの人には少しもう話したことがある気がしているんだけど、みんなで話しているときに話すことって全員に向けて話すことはもちろんあるんだけど、実は誰か一人へのメッセージだったりすることってある。

誰も気づかないけど、その二人だけは気づいている。

手触りを求めているから手触りを感じるのだ。

人間は特別な感情を求める生き物だ。

金で、時間で紡ぎあげることのできるものをたった一つの言葉と振る舞いで作り上げていきたい。

自分の深い世界へ引きずり込みたい。