第92問 2020年9月のお気に入りの文章

20200901 遠藤周作『深い河』について

遠藤周作の「深い河」を半日で読み終えた。
三島の豊饒の海を思い出さずにはいられない作品だった。
あとがきにもあるが、遠藤もまた三島と同じく、己の人格を登場人物に分け与えるように、複数の登場人物とガンジス川とその下流の街バラナシとの巡り合いを描いていて、豊饒の海を今年読んだ人間としてはこれ以上ない感動があった。
三島と遠藤は、戦後日本の文藝を同じ時代の中背負った二つの巨塔であり、先に旅立った三島への弔辞とも思えるようなこの作品に込められた何重もの意義に、そしてドラマティックなストーリーに、深く心打たれた。

俺の仲のいい友達が、宇多田ヒカルの”Deep River”という歌が好きで、その歌の

点と点をつなぐように
線を描く指がなぞるのは
私の来た道それとも行き先
線と線を結ぶ二人
やがてみんな海に辿り着き ひとつになるから
怖くないけれど
いくつもの河を流れ
わけも聞かずに
与えられた名前とともに
全てを受け入れるなんて
しなくていいよ
私たちの痛みが今 飛び立った

という歌詞が深く心にこだまする。

いろんなものがつながるような気持ちになるのは本当に生の実感を得る。こういうことを繰り返すたびに、そうした運命的な収束を信じざるを得なくなっていくのはなぜだろうか。

20200902

www.huffingtonpost.jp

当時の西日本新聞の社会面には「社会部110番」というコーナーがあった。
社会部に電話の窓口を設けて、読者に困り事を寄せてもらう。聞いた話をフックに取材を始め、解決の糸口を探し、最終的には紙面記事にする。
まさに「あな特の源流」のような企画だった。
公園を歩いていたら、木が倒れてきてけがをしてしまった。補償をどこに求めればいいのか…。
そんな「どこに持ちこんだらよいのかすら分からない悩み」を、新人記者の坂本は電話で聞き続けた。
これこそ世のため、人のための仕事だ。やはり、新聞記者になってよかった。
そう思った。ただ、電話で話を聞き取るまでに30分近くかかることが珍しくなかった。
悩み相談はえてして長くなる。
ご近所トラブル。家庭内での悩み。学校でのいじめ。寄せられる悩みの大半は、取材から解決の糸口を見出すのが難しいものでもあった。
坂本がデスクに報告し「これは取材してもよさそう」だと判断されると、自分が取材するか、社会部員の誰かに取材が割り振られる。
だが、そこまで話が進むのは、電話30本のうち1本あるか、ないか。
「労災が認められなかった、裁判をしてもダメだった、というように揺るがしがたい結論が出てしまっているように思えるケースもありました。『お気持ちは分かります。ただ、記事化は難しいです』と言うほかありませんでした」
坂本はやがて社会部から長崎総局、宗像支局と異動を重ね、社会部に戻った。
その間に、自分の原点とも言える「社会部110番」は企画が終了していた。
新人時代、抱きかかえるようにして通話をしていた「社会部110番」専用の電話機からは、電話線が抜かれていた。

ーーーーーー

その昔、新聞社には街の顔役などが気軽に出入りをしていた。記者にも、街をぶらついて歩くくらいの仕事の余裕があった。
そうやって読者の声が記者に届き、市民が求める記事が自然と生み出されていった。
記者ひとりあたりの仕事も爆発的に増えた。抜かれていた「社会部110番」の電話線は、抗いがたい時代の流れを示すものでもあった。
その中でも、何とか読者との密接な関係をつくろうと、全国の新聞社の間で努力はされてきた。西日本新聞社も「地域版」をより細分化したり、記者たちが社屋から飛び出して読者の近くに臨時の取材拠点を置く“移動編集部”のような取り組みもしてきた。
だがネットの隆盛と、それに伴う若い層を中心とした「紙離れ」の波が業界を飲み込んだ。
読者にとって新聞は、いよいよ遠い存在になってしまった。いまや「不信の対象」とされることすらある。
だから今、あな特はツールの力も使って、読者と記者を再びつなぐ。
記者はもっと、読者のために働ける。もう一度、新聞社の「力」をみんなに信じてもらいたい。その一念で。
「あな特のオンデマンド報道と、従来の調査報道を車の両輪とすることで、必ずや明るい未来が開けてくるはずです」
坂本はそう思っている。

20200906

gendai.ismedia.jp

表題に対しての賛否はおいておきながら、いい評論だと思う。
中立性とか無過失性に中毒になっているとこういうのは刺さる部分がある。
近頃、歴史がどんどん忘れられなくなっているし、むしろ事あるごとに掘りおこされると、過ちが許さることに積極的な意思が必要になっているように思う。
神が社会からいなくなってから、過ちは人々を許さずとも、忘れることで過ちから逃れることができたけど、今は忘れることができないじゃない。
贖罪ができないんじゃないかと思う。昔は聖水を浴びれば、牧師や神に赦しを乞えば、許されたけれど。今じゃ過ちはずっと人々の心に残り続けて、罪悪感とか後ろめたさとそれを糾弾し続ける罪への攻撃が実は心と社会を蝕んでいるのでは、とか。
許す/赦すという行為は、積極的な行為でしかありえない。何もしなければ贖罪がなされないとしたら、罪を犯した者は良心がある限り罪悪感に苛まれ、罪の代償となった人々は罪を犯した人々への憎しみを忘れることができない。
宗教法典が罪を定義し、その贖罪のあり方を明記したことが、人間にとって最大の救いだったのではないだろうか。
宗教が果たした役割に思いを馳せる。

20200908

news.yahoo.co.jp

本ってスポーツみたいに怪我をすることもないので、安全で害の少ない娯楽に見えるけれど、読むことって、周りの人にとってはかなり残酷な行為かもしれません。
でも、その場面場面で選択を間違えなければ、必ず正しい場所に行き着くことはできる。そう思えるようになったことが、最初の頃との違いかもしれません。


――江國さんはインタビューなどで、現実よりも言葉を信じると言っていらっしゃいます。
それはしょっちゅう言っています(笑)。ちょっと変わっているかもしれないけれど、これも子どもの頃からです。
私はお菓子の箱に書かれた文章――サクッとしたビスケット、とろっとしたクリーム、芳醇なカカオの風味――とかを読むのが大好きだったんです。でも、実際に食べてみると、言葉から想像したほどおいしくはなくて。食べるよりも読むほうがおいしいと思っていたので、お菓子よりもお菓子の説明のほうが好きでした。
――とても江國さんらしい話ですね。
少し前に翻訳したトレヴェニアンの『パールストリートのクレイジー女たち』という小説で、主人公の少年がコーヒーを挽売りしているお店に行くシーンがあるんです。少年の家は貧しいので、いちばん安いコーヒーしか買えないのだけれど、店にはすごく高いコーヒーもある。それはすごくいい匂いがするので、彼は子どもながらにそのコーヒーはどんなにおいしいか、想像していました。でも長じた彼は、豆を挽いたときの香りほどおいしいコーヒーはこの世に存在しないというんです。その感覚はすごくわかるなと思いました。

20200913 三島由紀夫暁の寺』について

暁の寺を読み終えたけど、最後は特に三島の筆の失速を感じざるを得なかった。
最後の森川達也氏の解説を読んで尚更に思ったけれど、三島的情景美の混乱というか破壊というか。
ジン・ジャンへの秘匿される裸への高まる期待が実り、最後についぞ開陳されても、全てが箒でサッとはかれてしまう感じ。。。
現実への失望というか生きることへの失望を隠しきれなくなっている感じがすごい。
春の雪で感じたような、生の美に取り込まれたような、生き生きとした筆のみずみずしさがすっかり枯れていくのを感じざるをえなかった。
これを書く時どれほど彼は辛かったのだろうか。
現実を直視しないことがどれだけ残酷に理想を膨らませてしまうのか、みたいなことなのか。
それを美しさと思って愛でてしまうことの悲しさ、というか、当人にとっては極致的な美の到達であっても、客観視すると感じる虚しさよ。
もう現実を見て美しさを感じているのではない。
麻薬的に思惟や妄想が頭を支配し、それに一番うっとりしている状態。
いうならばもはや言葉からも解脱しているが、三島の筆の胆力でギリギリ文字表現の形を保っているとでも言おうか。
直接的なエロスからの逃避というか、忌避みたいなのも大きな話としてあるのかも。エロスにもはや彼は文学的な美性を見いだしていない感じ。
どこを目指していたのだろう。

川端とか三島を読んでいると、文学が人々の手から離れていった理由もわからなくないというか。
元々そうでもないというのはもちろんあったのかもしれないが、庶民の手をもはや離れている。なんと表現すればいいかわからないが、素地がない人は基本読んでついて来れない作品にもはやなっていて、「普通」の人が作品を楽しむことを拒んでさえいる、というか。
わかるやつだけわかればいい、というエゴイズムの発露でさえあるように思う。
三島が美の表現者であったことは間違いないが、いつの間にか三島が書くものは美しいものだという倒錯が発生している感じというか。おそらく芸術全てにおける本質論だけれど。
芸術的な権威って、それを手にしなくては手にとってもらえない・見てもらえないという面では、すべての始まりである一方で、権威について回る評価や印象がその作り手に入れ墨のように飾られ始める点で終わりの始まりでもある。サカナクションの山口が、下北沢で突然路上ライブしてしまうとか、ああいう気持ちが少しわかるような気がしてきた。