第106問 山上は

ここ数週間は、自分にとってとても苦しい時間だった。

何をしていても頭の中が曇っていて、すべきことをしていないような、自分への深い罪悪感に苛まれていた。

弱さとも違う、自分の隙のようなものなのかもしれない。

ときたま、自分への自信を喪失してしまう時間があるのだ。

焦燥感ともまた違う、自分そのものへの思いみたいなものが青く染まってしまう感覚。

常日頃そばにあって、肯定感と葛藤しているみたいなものでもない。

突然、コインがひっくり返ってしまうような感覚。

 

何かが必要だったわけでもなく、むしろ色んなものを自分から削ぎ落とす必要だった。
いろんな入り交じる感情が、言葉に出来ないまま自分の中に籠もっていて、それを言語化したいわけでもなく、ただ楽しい時間を過ごすのもうまくいかない。歯車の噛み合わなさを嘆くだけの時間なのだ。

 

知り合いの女性が、インターネットで誹謗中傷にあっていた。

自分の手伝っていた団体で一緒だったひとだ。自分の上司だったけれど、その後リーダーになって、積極的にメディア露出していた人だったが、アダルトビデオに出演していた過去がバラされてしまったみたいだ。

その人の名前で検索すると、その人の出演していた動画やその画像、それについて語り草にしてあることもないことも、のべつ幕なしに話す掲示板の書き込みで溢れていた。

友達にその話をしたら、「全部自分のせいだから仕方ないね」と言っていた。

「そうだねえ」と返事をしながら、言葉にし難い虚無感が深まった。

 

その人は、努力を惜しむ人だった。特定の属性の人を見下す癖があって、自分にとって認められないものを下に見て、それによって自分の凄さを味わう、みたいな人だった。

人望は浅く、考え方も優しくなく。

敵を作る人だったのだと思う。一緒に頑張ったけれど、不快感だけが残る人だった。

彼女に出会って、人生が良くなったとは思えない。どちらかというと、ああいう人がいるから気をつけなくてはいけないなと思うようになった。

 

アダルトビデオに出た経緯について、フェイスブックのポストでくだくだと言い訳をしていた。被害者のように語っていた。自分を匿名掲示板で晒し、傷つける人たちを見下すような言葉を書き連ね、ビデオに出てしまった自分は当時幼かったんだ、と訴えていた。汚された、と嘆いていた。

その投稿も掲示板に晒されてしまって、非難轟々らしい。

 

人を見下したり、自分を都合よく解釈したりしていた。

全部彼女がしたことだった。

すべて彼女が招いたことだった。

彼女と自分の重なりも違いも別に考えることはなく、彼女がいっしょうけんめい作ってきたものが崩れていく音を聞くのみである。

 

人生が山登りだとしたら、ゴンドラやリフトはないのだとつくづく思う。

山を登ることは楽をしてできない。

一日一日を丁寧に過ごし。山を登ろう。