第110問 それでも恵まれている

思い返すと、自分の中高時代・浪人時代・大学時代のはじまりは本当に辛い時代だったと思う。

そしてその辛ささえ、認められない悲しさがあった。

友達が、スタンフォードの日本人大学生が炎上している最中で、自分は憐れだみたいなマウントの取り合いはやめろみたいなことをSNSに書いていたが、こういう感覚は痛ましいと思う。

自分が悲しいと思っていること、辛いと思っていることさえ認められない人間は惨めだ。

誰かより優れていることとか、華やかなこととか、そういうことの方がよっぽどやめた方がいい。

幸せと悲しみが共に人生に入り混じることから認めなくてはいけない。

他者と生きて感じた喜びも悲しみも共に抱きしめて生きるんだ。

 

あの時代は辛く悲しかった。

そう言えるようになった。

もちろんあの時代はあの時代なりにバランスは取っていたと思う。

ただ、自分で言うのもおかしいけれど、かなり真っ直ぐに育った自分があそこまでへし折れて、社会に強いネガティブな感情を抱いたことは事実で、それは痛ましいことだった。

 

はっきり言えば俺は他人に救済の糸口を探していた。

寂しい言い方をすれば常に他人に期待をしていたということなのかもしれない。

女への思いは安らぎを求める思いそのものだったし、今もまだそうなのかもしれない。具体的に求めるものは変わったとは思うけれど。

 

救済や平穏を心から求める自分が作り上げてきたものが今までのものだったし、そういう自分こそが多くの人の心をむしろ傷つけて不安にさせてきてしまったのだろう。

 

最近、朝に起きれるようになって、約束に遅れなくなったんだ。

自分は穏やかさを取り戻しつつある。

これはある意味で翼を再び得たような感覚で、折れてしまっていた翼が癒えたのかそれとも新しく生えてきたのか、どっちかはわからない。

ただ空をうまく飛べそうな感覚が少しづつ出てきた。

 

自分はまるで木のように生きるのかもしれないとずっと思っていた。自由に飛び回る周りの鳥が雨が降る日に留まり、飛び疲れた時に羽を畳むような場所なのじゃないか、と。

でも自分の翼がとても大きく育っていただけだったのかもしれない。大きな翼で、他の鳥が雨に濡れるのを防ぎ、疲れて休む鳥の日陰を作っていたのかもしれない。

 

大きな翼で遠くに飛んで行けたなら...