第127問 年末の不思議

年末の最後の時期、僕はなぜか後輩の女の子と一緒にいた。

大勢での忘年会を終えた後、メッセージが来て、二人で会うことになったのだ。

はて、という感じで、なぜ誘ってくれたのかわからないまま、お店を決めて、待ち合わせした。

 

最近、遊ぶ女の子は年下ばかりになってきた。

年齢が違う方が、逆に話しやすかったりするなと思ったりする。

 

それはとても楽しい時間で、誘ってくれて嬉しかったなあと思いながら、この子が思っていることはなんなのかよくわからないなあと思うところがあった。

年の瀬で、あまり大切な人以外とはご飯とかも行くのは向かない時期。

可愛い子だし、引く手あまただろうに、なぜ誘ってくれたのか。謎だ。

 

昔から知っていて、成長しました、久しぶりに話したいです!って感じだったのかな。

でも、それなら忘年会でしっかり話せた気もするし。

しかも、ほとんど恋愛の話をしていた。

僕自身は、今恋愛したいモードではないこともあって、多分もしかしたら彼女がくれたサインをしっかり見逃してしまったのかもしれない。

 

こういうときは、あまり考えすぎず、また今日を今日で楽しむのがいいんだと思っている。

 

話していて、いろいろ勉強になることもあった。

彼女に「私のどこが好き?」と聞かれたときの対処法だ。

こういう意見は初めて聞いた。

彼女がいうには...

・まず第一に、即答で顔をほめるべき

・それで、あんまり顔の話を長々話さない

・そして、第二に、永遠と性格の話をしてあげるべき

とのことだ。

ふむ、なるほど。

どうやら、顔を褒めることで、結局何もしてあげられなくても、相手にとってはいい感じらしい、相手を少しは幸せにできているらしいという感覚がいいとのことだ。

 

なるほどなあ、と話を聞いて思った。

可愛いと思われたいとかそのような話じゃなくて、人間として相手に与えている影響、果たしている役割の道具としての顔、という理解が前に出てくるのだなと思った。

 

ただ、自分がそういう答えをするかはまた別だなとも思う。

人の外見に対して、いわゆる顔の美醜について、こだわりがあるわけではないのだ。

好みの顔、みたいなものはあるとは思うけれど、好きになった人たちの顔は、どれもこれも似てないと思うし、新しく人を好きになることで自分のタイプがますます広がっている感覚があって、それが生きていて楽しい。

だから、と理由になっているかはわからないが、真正面から顔を褒めることの気持ち悪さがどうしてもある。

 

こだわりがあるとしたら、もしかしたら自分はスタイルは気にするかもしれない。

いいスタイルだと良い、ということでは必ずしもなく、自分と隣で並んだ感じが自然かどうか。

そのまま二人で本屋さんにいったり、映画を見に行ったり、美術館で一緒に絵や彫刻を見てる姿が様になるかどうか、みたいなそんな感覚だ。

 

見た目で強いて一番こだわるとしたら、耳と爪はよく見るかもしれない。

毎日をどんな気持ちで送っているのだろう、と爪や耳を見て想像するのが好きなのだ。

いろんなイヤリングやピアスから、その子が好きなものを選ぶ気持ち、それをつけて会いに来てくれる気持ち。

自分を大切に思って爪をお手入れしてる気持ち、自分を大切にしている気持ち。

そういうものを僕は感じ取るのかもしれない。

 

だから、そういうふうに見た目から「思い」を感じようとしている僕に対して、

「〇〇くんが好きだと思ったから、つけてきたんだよ」というのはキラーフレーズで、これを言われると、ノックダウンしてしまう。白旗だ。

おしゃれは君のためのものなのに、僕のために、、、となるのだ笑

 

ネイルの話をしたら、その子はネイルをしていなかったから、こいつは細かいところ見るんだなあみたいな顔をしていた。

僕は、引かれないように、お金と時間がかかることだものね、男はしないしね、と笑った。

 

不思議な一日だった。

平和な年末。

これほど、僕にとってありがたいものはない。