第128問 僕と彼の手記

今年はよく筆が走る。

なぜだろう、だれも見ていないこのブログだが、自分と向き合う場所としては丁度いいのだろう。

 

年末必ず会う友達がいる。

もう出会ってから13年が経つ。

ちゃんと知り合ってからは8,9年だ。

僕らは年末に一度会って話すのが定番になった。

高校生・浪人生の頃は、お互いいろんな現実から逃げるように街を歩き尽くした。

僕の散歩好きは、彼から伝染したものだ。

 

久しぶりに会う彼はどこか疲れていて、後ろめたそうだった。

ゆっくり話を聞いてみる。

彼の一年は大変な一年だった。

 

彼の父は余命が2年と少しらしい。

この夏に、病院嫌いでどんなに辛くても病院に行くのを嫌がった彼の父は、悪化した大腸がんのせいでもはや腸が破裂し、部屋で痙攣した状態で見つかって、救急車で運ばれた。

 

死にかけた彼の父は、彼に「もう俺は死ぬから」と伝え、その男なりにSOSを送っていたらしい。

 

私の友人は極めて飄々とした人間で、人生で会った人間の中で、一番捻くれた人間だ。

そんな人間と決まって毎年年末を過ごす僕もまたおかしな人間だろうが、彼はやっぱりそれ以上だ。

 

自分も色々と沈み込むような一年だったけれど、聞く限り、彼が過ごした一年はもっとしんどいものだったろうと思う。

 

彼は、僕が苦しそうにしていた浪人生の日々を知っている。

自分を見失い、深く病んでいた日々。

僕が再び立ち上がるのを待ってくれていた人のうちの1人、大切な友人だ。

 

僕は今日彼にどんな言葉をかけてあげられただろうか。

「お前はよく頑張ったよ」「辛い一年だったよな、よくやったよ」

これでよかったのか分からない。

彼が必死に生きた一年、それをいろんな街を共に歩きながら、酒を酌み交わしながら、聞いた。

 

僕はどれほどのものを彼に返せているのだろうか。

 

辛いことがあったらいいこともあるよ、

なんて言葉は僕らの間ではあまりに軽薄だ。

人生が複雑で、そのせいで脳みそが発達してきた僕らからしてみれば、気休めは逆に虚しい。

生々しくてあらっぽい言葉が、僕ららしいのだ。

 

どうかこの辛い時代を共に生き延びよう。

必ず幸せになれる。絶対大丈夫。

君に直接は言えないが、僕はこうやって年の末、一緒に話して酒を飲むのを本当に楽しみにしているんだ。

 

君はクリスチャンだから、

あえて言うなら、

神様は乗り越えられる試練しか与えない。

 

生き続けよう。

歴史を刻もう。

君には、僕が往生して死ぬときに、飄々と生き延びて、

「あいつも死んだなあ」

と笑っていて欲しい。