これはもともとは自分の手帳に書き記したもので、誰かに見せようと思って精巧したものでもなんでもない。
ここへその文章を残すことが、何かしら、小さな救いのようなものを求めるのか、それとも手帳に埃がかぶる未来が寂しいからなのか自分自身も皆目見当がつかない。
僕という人間を少しだけ多く知ってくれようとする人に、読んでもらえたら嬉しいと思って、キーボードを打つ。
もしやすると気が変わって、明日には消してしまうかもしれないし、ずっと残すかもしれない。本当に何の気なしに、気持ちの流れるままに書き、ここに上げていて、そこに深い恣意はないから、それ以上僕の心を詮索しようと無駄である。
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20190713 祖父の死
12時ごろ。
母の実家にいる。
家の中に線香の香りが立ち込み、どこか静かで生暖かい時間が流れる。
祖父の遺体を前に、その顔にかかる布切れをめくり、その顔を見ると、自分でも驚くほどに涙が出た。
数週間前、病院で祖父に会ったときには、わからない感情だった。
彼の遺体を前に湧き出た思いをそのままに書き残すとすると...
純粋に彼は自分にとって家族だったのだなと思う。
十代にかけて崩れていった自分の"家族"という概念は、どこにどんな破片が残っているか自分自身でも見当がついていない。
ただ祖父の冷めきって青くなった、これからはもうとうに動かないだろう彼の顔を見ると、僕は何かを思い出したように泣いたんだった。
行きの車の中で母親から聞いた話では、祖父は若いうちに多くの兄弟・姉妹を病気や戦争、事故で亡くしたらしい。彼の若かりしきつく辛い時代を思うと、彼が自分に語りかけた言葉の重みは計り知れない。
そういう人生の話で言えば、僕のそれは祖父に似たのかもしれぬ。
家族や愛する人に向き合う不器用さも、彼に似たのかもしれぬ。
自分にとっての家族とやらがなんなのか、何度も何度も考えさせられる。
誰も座っていないマッサージチェアを見ると、そこに祖父の面影を感じる。
窓の外を見ると、二匹の蝶が踊り、交尾していた。
梅雨の合間の少し晴れた日に、回る扇風機の音を聞きながら、祖父を思う。
──── 勉強しろよ、脳みそだけは誰にも盗まれないんだから
いつもいつも会うたびにそう言った。
祖父との深い思い出はない。彼はそういう人だった。
たまに少しの会話をするだけで良かった。
そういう家族だっていいじゃないか。そういう家族もいい。
病室にいた祖父を思い出せば...
僕が初めて病室を訪れた時、僕はよく祖父に話しかけた。
ロシアやインド、アメリカに行った時の話。僕が素晴らしい友に囲まれている話。家族の話。
異国には日本にはない経験、人、言葉が溢れている。インドは人でごった返しているし、ロシアは美しい景色で溢れていて、アメリカはいろんな人間がいる。
齢二十の瞳に映った景色を必死に、美しく、それらしく伝えた。
僕の友は辛い時も喜べるときもそばに居てくれた。中学・高校・浪人・大学、全てにおいて豊かな仲間に恵まれた。どこのどいつをとっても、どこに出そうが恥ずかしくない奴らばかりだ。僕は彼ら、彼女らに育てられたといってもおかしくないかもしれない。今日、自然に母のキャリーバックを引いた時、ふとそう思った。
こういう話をすると、横たわる祖父はポロポロポロポロと涙をこぼすのだった。
口があまり回らなくても、話はよく聞こえているらしかった。
どこかで聞いた話で、人間が死ぬ時最後まで残る五感が聴覚らしい。
その時はすぐ死ぬとまではいかなかったけれど、彼はきっと僕の話をよく聞いてくれていたのだろう。
人の死がこうもまざまざと己の人生に入り込むのは、久方ぶりだった。
一年前の友人の死は、自分にとってはもはや概念だったし、それ以外の死は空想だった。
若かりし血が滾るような時期は、さほど死は近い存在でなくていい。
でも大切な人がいなくなってしまうことの悲しみにひたること、これは己がどんな年齢だろうとも変わらない、人生の避けがたい起伏なのである。
一歌。
下野の三毳の山の小楢のす
まぐはし児ろは
誰が笥か持たむ
万葉集 巻一四 三四二四