第121問 女という生き物

たまに、女という生き物についてわからなくなることがある。

そう最近も思った。

自分の人生とは全く関係のない一人の女性の話と、最近関わりのあった女性の話、ふたつ聞いてほしい。

 

その女は、僕の友達と付き合っていた。

当初、その友達はその女の胸が大きいことを自慢していて、たしかに胸の大きい女って少ないし、いいなあと話を聞いて思っていた。

最初から友達は、あんまりその女に対して思い入れがないのだ、みたいな話をしていた。

当初、僕は「ならどうして付き合っているの?」としきりに聞いていた。

その時は、彼はうまく言葉にすることはなかったけれど、今となってみれば、彼を深く知る友人としては、やはり一人の男として責任を取ろうとしたし、自分自身の男としてのポリシーとして、そういう地位に相手を押しやらないようにしたいとしたのだと思う。

心でつながった絆のようなものはなかったのだとは思う。

 

さて、その女だが、どうやら、僕の友人に30万円も金を借りていたらしい。

友達は大学院の奨学金をもらったから、準備していた金がいらなくなり、その女に大学のための金がないと相談され、人助けのつもりで貸してやったらしい。

他人からすると、というか僕からすると、「どういうことだ?」となる部分も、その話を聞いた当初からたくさんあった。

大学のための金はまずは親なり、自分の奨学金なりから出せばいいものを、なぜ付き合って数ヶ月もたたない恋人に?

そして、なぜ僕の友人は、あまり話も聞かずにそんな大金を貸したんだ?

などと思っていた。

ただ、変にその友達はしっかりしていて、借用書だけはしっかり書かせていたらしく、問題になれば取り返せるための準備は(十分ではないが)していたらしい。

 

そんな中で、その女についていろいろな素性が明らかになってきた。

というのは、どうやら風俗で働いてたらしく、しかも方々に大金を借金していて、極めつけにはどこかの商社マンだか会計士だかと二股をかけていたらしい。

 

僕の友達は色々分かってきた当時は平穏を必死に保っていたが、お別れして1,2週間経つ現在、かなり心を病んでいる。

お別れもひどかった。

彼自身は、もう会いたくない、となってしまい、ラインでお別れを告げたらしい。

そうしたら、あらゆるSNSから電話やら連絡やらがきて、その日の夜は500件近く着信があった。

流石に心配して、僕はクラスメイトの刑法が得意な友達にすこし相談して、ストーカー規制法について教えてもらった。

 

今、彼はボロボロだ。

就職も決まって今は華やかで楽しい時間になるはずが、散々な目にあっている。

女が嫌いになってしまったそうだ。

 

とんだハズレくじだね、と最初は笑っていた僕だったが、繊細な彼の心にはかなり辛い思い出になってしまったことだろうと、胸を痛める。

 

 

彼女はゼミの後輩で、ここ最近たまにご飯に行ったりしていた。

かなりグルメな人で、すごくマニアックな精神を持っているところに少し惹かれていた。

自分は、なにかとことん好きなものを持っている人を魅力的に思う。

ご飯にしても、芸術にしても、音楽にしても、建築にしても、スポーツにしても、なにかを特別大切に愛している姿を見ると、自分の人生を楽しんでいる感じがして、すごくいいなと思うのだ。

 

これは自分への愛にもつながっている。

仲のいい友人には何度も話すことだけれど、自分の人生の難易度の高さは異常だ。

好んで難しくしているところもあるが、普通の人なら何回やってもゲームオーバーになるようなゲキムズ人生を歩んでいる自負がある。

自分の力でコントロールができないものが多すぎる人生、多くのものに色んなものを壊されては直し、を繰り返すことの虚しさ。

大切な人が病に倒れ、自死し、大切な人が自分を傷つける。

そういう経験は、自分への愛を失う機会にあふれている。

それでも、僕は様々な愛を手に入れてきたと思っている。

なにか自分の好きなものを見つけ、それとともに成長していくことは、人生において決定的なほどに重要なものであると思っている。

キザな言い方をすれば、幸せの鍵だ。

 

自分の話をしてしまったけれど、話を戻します。

だから、そういうなにかすごい深い趣味を持っている彼女のことは、少しづつ気になっていた。

それで、また飲みに行こうね、などとお互い言っていたところだった。

その子のロースクール入試があって、自分も先輩方に様々に声をかけていただいたから、ひとこと、頑張ってねと前日送った。

そしたら、ゼミの飲み会があるから来てほしい、と言われ行ったのだ。

 

それで、ゼミの飲み会でまた再会した。

そうしたらその子はこんなことを言い出すのだ。

 

「最近、身体の関係にあった弁護士が居た、その弁護士は実は付き合っている女が居て、どうやらその女とは同棲しているらしい。自分の家にしか来ない。

そのことがわかり、振られたようで辛くて泣いている。」

 

おや?と思う自分がいる。

どこかで聞いたような話だなあとか。

それから酒が入り、その子はこんなことまで言うのだ。

 

「自分はセックスがとても好きだ。

その弁護士は前戯を大切にやってくれるから好きなのだ。

そういえば、自分はホストともセックスをしたし、女性用の風俗にも行くんだ。

自分は男とは生でセックスをするんだ。相手が望むからコンドームを付けないんだ。」

 

話として一枚目の話題は、俺に対して予防線を貼っているのだろうとも思った。

つまり、あっちとしては、さんざんっぱらに別の男の話をして、僕の気持ちを砕ききりたいということだったのかもしれない。

自分自身としては、この子はどんな子なんだろうと探っていた段階だったし、むしろ、サシ飲みでもない場所で、先生もいて、別の女の子もいる場所で、こんな話をしてしまうのだなあという驚きのほうが大きかった。

自分自身の恋愛遍歴も、彼女に劣らずおかしなものばかりだし、こんなふうにまくしたてるようになるまで、自分の愛について悩んでいるんだというのは、どこか共感できる部分もあった。

しかし、一番のところは、この女は俺を男として多かれ少なかれ意識していて、なるほどそういう目で自分を見ていたのだなあと思ったところが、ある意味で嬉しかった。

 

この嬉しさはある意味で奇妙とも自分でも書いていて思う部分はあるけれど、ひとつ別の理由を書くなら、こんなことを言われたのだ。

 

「誠実な男はつまらない。刺激的な男性が好き。

何を考えているかわからないような人が。」

 

自分は、あくまで経験則だけれど、よっぽど自分のことを好きな女によく捨て台詞的にこのことを言われる。

つまり、僕が誠実な男性にその人には見えていて、そういう誠実な男であるお前は男としてやっぱりつまらないんだ、と。

これは自分にとってだいぶ言われると嬉しい言葉だったりする。

 

誠実さについて、周りの男とよく話す。

そこで絶対に一致するのは、誠実さはいい男の絶対条件だと。

誠実な男は誠実な女に愛され、誠実な人間の輪がある。誠実な人間の輪には、不誠実な人間は入れない。

誠実な人間がときに過ちを犯すから、その過ちはほんとうに刺激的であり、忘れられないものになる。痛みを知り、さらに良い人間として生きていこうと誓うのだ、などと。

 

お前は誠実で真面目な男だと言われると、いい男は嬉しく感じるものだと思う。高く評価してもらえているんだなと感じるんだと思う。

だから、彼女から見れば俺は誠実であって、しかもそれは誠実な「人」ではなく、誠実な「男」に見えていたという点で、自分にとってはある意味かなりの褒め言葉に感じられたのだ。

 

二枚目としては、この女は自分に向かって喋っていて、しかも自己開示をしているということだ。

ゼミの先生もいて、同期の女の子も居て、破廉恥な話を良くしたものだと思う。

それは、幾ら酔が回っていたからとしても、俺に聞かせたかったのだ。

これはありがたい話で、どうしても話したかったのだなと思うと、にやけてしまう部分もある。

大雑把な言い方をすれば、分かってもらいたかったのだろう。

何から何まで話して、自分のことを分かってほしかったのだろう。

それが好意に基づくものでは必ずしもないかもしれないけれど、そういうことを話せる人としてこころを許してもらえたのだとしたら、同じ人間として嬉しいことだ。

どんな形であれ人に、信じてもらえることは嬉しい。

 

最終的に、僕は彼女に対して、好意が芽生えることはなかったが、また会いたいと言ってもらえたのは嬉しかった。

 

彼女の混乱を受け止めてあげたかったけれど、友人は大反対する。

友人もその子があまりにかわいいから嫉妬しているところもあるかもしれないけれど。

だが、友人の言う通り、彼女について勘違いしていたなと思う。

 

 

女という生き物は面白いな、と思う。

俺は刺激はそんなにいらなくて、心に太陽があるような人のそばにいたい。

 

過去をあんまり振り返りたくないけれど、そう思うと、また会いたいなと思う人はやっぱりいるのだ。

太陽の日差しをともに浴びるような、そんな時間をすごした人。

 

優しさは可視光線、愛以外、さざなみになって消える