つい最近、こんな人に出会った。
音楽や文学は、自分の趣味に近く、よく私のSNSでの投稿に反応してくれていた女の子。会ったことはないけれど、日頃アグレッシブに過ごしていて、若さを最大限に使っていて。
大人を見定める癖が染み付いてしまって、自分にはなにもないのに、何かある人とつながりがあることで自分の価値を感じようとしているような。
いつぞやの自分もそんな感じだったような気がして、(生)温かい気持ちになりながら話を聞いていた。
ただ、その人のいう音楽や文学への愛は、とても上滑りしていて。耽美的な物が好きなんです、と言うんだけれど、自分はまるで耽美的ではないというか。
笑顔を顔にベタッと貼り付けて。
あなたは本当にそういう物語を読んだの?
ああいう物語を読んで、選ぶあなた自身の物語が、これなのか?
と、自分の中にある偉そうな部分が、低い声で脳みその中で囁いていた。
翻ってみて、自分はどうだったんだろう。
そういうところも、もしかしたらあったのかもしれないけれど、でも私が音楽や文学を愛する気持ちはそういう気持ちじゃなかったと思う。
作品を愛し、それをともに愛する友人たちの気持ちをともに愛した。
心の重なりを言葉なしに感じ取り、多くを言わずして、分かり合う感覚が僕らにはあった。
好きな本を共有して、一緒に読み合う幸せがあった。
自分は愛しているものを、アクセサリーにしていないと思う。
ときに伝書鳩のように、送る音楽やプレイリストに思いを込めても、でもそれは俺にとっては飾りではなかったと思うんだ。