第145問 死闘

この一週間は激しい戦いだった。

毎日試験と試験への準備を繰り返して、ほぼ全科目の総復習をしていた。

準備→試験→準備→試験→準備→試験→準備→試験

準備と言うものの、司法試験の過去問を解いていたし、問題集の問題を解いていた。

 

結果としてはひとつしくじってしまったが、それ以外はS評価が来そうな感じで、全体的には大きな問題はなかったと思う。

その一つの科目は民法で、嫌らしい問題構成で、しかもある種適当な問題で、終わった後の手応えも解いているときの楽しさも全く無いような悪問だった。

もちろん、できている人もいるだろうが、ここまで民法を仕上げてきた自分としては、この自分の能力を発揮させてくれない問題に強いいらだちを覚えた。

 

3ヶ月間、クラスの様子を見る限りではあるが、自分はロースクール生活を経て、上位層に入ることができたと思う。

 

昨日、商法と民事訴訟法の試験が終わった後に友だちと話していて、こんなことを言われた。

「〇〇くんは、は優秀すぎてまじでムカつく」

その人は、僕がクリアできなかった予備試験に合格した人で、優秀な人だと思う。

そんな人にここまでの言葉をもらえるのはありがたい話だ。

 

司法試験の受験者の数も発表され、個人的には想定していたより受験者が相当少なく、合格率も40%近くになる見込みだ。

ここまでの色んな人とのやりとり、試験の成績を踏まえれば、自分はかなり合格をしうる場所にいる。

もちろん手を抜いたり、苦手を苦手なままにしていれば無理だろうけれど、逆にちゃんとやればちゃんと合格できる場所にいるのだ。

 

残り1ヶ月。

死闘のはじまり。

戦いを放棄せず、戦い切りたい。

 

期末試験の前に、勉強がとても得意な友達に相談した。

緊張してやばい、と。

そしたら、こんな返事がきた。

「俺だったら、いずれにしても、あと数十時間で全部攫い直すのは無理だろうし、試験で出た時に『うわ〜これ引っかかってたんだけど見とけばよかった〜』って後悔しそうな所から順に潰して「試験後出来るだけ後悔しない」ことだけを考えて過ごすわ。」

 

なんとも的を得たアドバイスなのだろう。

ストレスが過度に掛かると、色々と投げ出しがちな自分としては、この言葉は非常に大きかった。

なんというか、客観的に正しいことが頭でわかっていてもできないときが僕にはあり、そのときにかかるブレーキを解除するには、あまりに適切だった。

さすが僕の親友といったところだ。

 

この言葉のお陰で最後の最後まで諦めずに勉強を続けられたと思う。

 

振り返れば、昨年のロースクール生活が苦しかったのは、友達と話がとことん合わなかったことにあると思う。嫌いではないけれど、好きになれはしないというか。

他人のせいにする訳では無いが、たとえばどんな事務所に行きたいとか、どんなことが好きかとかそういう話が、まともにできないのだ。

大手ならどこでもいいだとか、好きなことはないだとか、話しててつまらないのだ。

SNSではロースクールの先生の悪口を書いたり、事務所就活や勉強についてべらべら喋り続ける。

情報をあげるあげないで、せこいふるまいをする。

情報格差を積極的に競争に持ち込むやつは、本当にだめなやつだと思う。

 

僕に対する直接的な害はないが、あまりにくだらなすぎた。

こういう人たちと同じ戦いをさせられているというのが、嫌で嫌で仕方なかった。

クラスとかそういう制度がniceではないと思うのは、こういうところにある。

将来一緒に働きたいとは思えない、志の低い人ばかりだった。

 

かえって、いままで一緒にいてくれた人々がどれほど聡明で、豊かで、優秀だったかを思い知った。多くの深い友人関係を自分の手で作り上げたと一時期たかをくくっていたが、まったくの間違いだったことに気付かされる一年だった。

 

僕が優秀過ぎると言って、ムカついていた友達は、かなり気の合う変わり者で、僕はやっぱ変わり者と一緒にいると気が楽なのだと思う。

出る杭は打たれると育てられた人と、出る杭になれと育てられた人は、まるで違う生き物になる。そして、これらは一緒に生きていくのはとても大変なのだ、と強く感じる。

そして、出る杭になる以上、色々な意味で魅力的でなくてはならないのだ、とも思うのだ。

 

心と体の健康に気をつけて、走りきろう。

ゴールは間近に見えている。

 

夏休みはいろんな事務所に行ける。

一つ、クロスボーダーM&Aで国内最強の外資系事務所にいけるのだ。

外資のIT企業で働く弁護士の先生からも、秋から会社でインターンしないかとオファーももらった。

夏以降は外資系三昧になるが、楽しく楽しくやっていこう。

 

なにより、毎日を大切に生きていこう。

結果はどうあれ、死に際にちゃんと「あのときは頑張ってたなあ」と思えたら、それでいいのだ。