第78問 久保田利伸インタビューの備忘録

久保田利伸 デビュー30周年を迎えて思う、音楽と表現のこだわり

https://spice.eplus.jp/articles/89332/amp

――日本の音楽シーンはいい意味でも悪い意味でも“流行”に敏感で、みんな右へ倣え的な動きをしていく中で、久保田さんはこれまでそういう動きとは全く無縁で、逆に流行を発信している側でしたよね。

それが僕の性分です。悪く言えばへそ曲がりで、人と同じものをやっている時は気持ち良くなくて、誰かがやっているスタイル、話題になっているスタイルは、最初に排除したい性分です。でも、へそ曲がりではありますが、誰も聴かないものを作るのではなく、なるべくたくさんの人に聴いてもらえるものをといつも思っています。欲張りといえば欲張りですよね。

――ここまで様々な作品を作り、発表してきましたが、特に印象に残っているプロダクツを教えていただけますか?

全部ですね。僕がやっている仕事の中で最も大切なのが作品作り、もう一つはライブですが、その時代時代のアルバムを作っていくこと以上に、大切な仕事はありません。なので、その一つひとつに甲乙はつけがたいですが、音楽イコール、ミュージシャン、スタッフ、全ての人との出会いだと思っています。人のレコーディングのやり方、音楽との向き合い方、コンディションのキープの仕方、それから日本人と外国人との違い、一人ひとりとの出会いが刺激的で、勉強になりました。ここまでの出会いをひとつの形にまとめるのもいいなと、5~6年前から思っていました。

――30年間活動をしてきた方にこそお伺いしたいのですが、昨今の日本の音楽シーンは、久保田さんの目にはどう映っていますか?

これは年を取るとミュージシャンはみんな言いますが、昔よりもつまらないですし、大変です。理由は色々ありますが、まずオリジナルで素敵な曲が生まれる確率が、少なくなってきている気がします。それはたった十数個しかない音階の組み合わせでメロディというものはできているので、メロディが出尽くしている感があって。曲を作っていて“あ、これも何かに似ている”と思う事もよくあると思いますし。でも盗作なんてもってのほかだし、作る方は疲弊していると思います。僕も自分でたくさん曲を作っていますが、自分の中でも得意な事は決まっていて、その中で昔と違うものを作りたい、でもへそ曲がりな曲で終わるのではなく、みんなに聴いてもらえるものをと考えると、なかなか大変です。音楽はどんどん消費されていくものだけど、昨今の流れの中ではより消費度が高くなっていて、そういう意味でも大変です。音の作り方もどんどん変わっていって、アナログとカセットテープしかない時代から、CDやMDが出てきて、そのCDを介さない時代になって。僕は全部の時代を知っていてよかったと思います。音を伝えるメディアもラジオとテレビしかなかった時代から、多様な時代に変わってきて、聴く方にとってはどんどん便利になってきて、音の質がいい悪いという話もありますが、その違いも今はそこまでわからないです。音楽が身近にあればあるほどいい事ではあると思いますが、そんな中で音楽を作っていくのは、大変になったと感じています。

 

久保田利伸「30年、好きな仕事を続けられてラッキーだと思っています」【インタビュー 前半】

WI 好きな仕事を30年できるのは、難しいですよね。
久保田 本当にそうだと思います。音楽の世界は水商売だと思っているんです。“音楽”は、次に何が出来上がるのかわからない頼りないものなので、余計に「ありがとう」っていう気持ちがありますよね。

WI なぜ、続けることができたと思いますか?
久保田 「ラッキー」っていうのは、はっきりしています。夢として「野球の選手になりたい」「芸能人になりたい」「ミュージシャンになりたい」って思う人は、たくさんいます。でも、同じ夢や努力をしても、業界の人と出会え、デビューできて、物が売れて……と、たくさんの“運”が重なった結果だと思っています。

 

久保田利伸、30年すべての現場に、必ずいたのは僕だけ。【インタビュー 後半】

https://cancam.jp/archives/241848

WI では改めて、出来上がったアルバムを聞いていかがですか?
久保田 いろいろな人とコラボレーションしてきたんだと思いました。「バラードをデュエットしたな」とか、「ラッパーとやったな」とか改めて思います。また、レコーディングした時の状況や気持ちも思い出します。僕だけなんですよね、すべての曲の制作現場にいたのは。

WI そうですね! 30年すべての現場に、必ず久保田さんはいらっしゃいました。
久保田 そう。日本もアメリカもすべての現場にいたのは俺しかいない。曲を聞くと相手もスタジオも経緯も“絵”として思い出せるんですよ。相手のいることで具体的なんだと思いました。ひとりだと記憶をたどっても、どこの曲だったか、時代もあやふやなんですよね。

 

【インタビュー】「十人十色、みんな、ありのままでいい」。久保田利伸がアルバムを通して放つメッセージ

https://trendnews.yahoo.co.jp/archives/686441/

――まず久保田さんがアルバムを制作する前に思い描いていたイメージがあったら教えてください。

漠然と思っていたのはアルバムを通して人情とグルーヴがずっとディレイされているアルバムになればいいなということでした。

――なぜ"人情"というキーワードが浮かんできたんでしょうか?

アルバムを作る前はふだん以上に一歩踏み込んでものごとを考えるんですけど、日々のニュースだったり、いろんなメディアを見たり読んだりしていると世の中、自分本意な人間が増えてるなって。僕が年を重ねたせいかもしれないですけど、「人のあったかさや痛みをもっと感じられたらいいのに」と思うことが増えましたね。僕もいっぱいいっぱいになると自分勝手になって「これじゃいけない」と思うんですけれど。

――世の人たちにそういう傾向があるのは想像力が低下したから?

そんな気がしますね。人のことを思う想像力。

――だから『Beautiful People』の曲たちはファンキーな曲もふくめてあたたかくて心地いいグルーヴに満ちているんでしょうか?

そうかもしれないですね。言いたいことがあったら歌詞にしたいし、それを音楽は楽しいもの、優しいもので包んでくれるはずだと思っているんです。

 

久保田利伸さんが語る「私にとってラジオとは?」|【FM50】NHK-FM放送開始50周年特設サイト

https://www.nhk.or.jp/radio/fm50/dj/kubota-toshinobu.html

ーーあと、自分の曲がアメリカでかかったっていう機会もあったと聞きましたが。

久保田利伸
うーん。ニューヨークでなかなかかけてくれなくって、ただ僕ラジオっ子ですんでラジオでかかる、かからない。っていうか、アメリカのヒットはラジオからでしか無いので、今もずーっと。どんだけかけてくれるかって。で「ニューヨークでかけてくんねぇなぁ」って。でも、アメリカの町にちょっとしたキャンペーンみたいな形で行くじゃないですか?で、ある時南部のどっかで、アラバマか・・ちょっとわかんない、南部の車の中しか覚えてない。どっかのラジオ局に移動するっていう時だったか、帰る時だったか。移動する、その目的のラジオ局じゃない局から、曲が、僕の曲がかかったんですよ。幸せでしたねぇ。カーラジオですよね。カーラジオでかかって。この1曲、ラジオで1曲自分の曲をかけてもらうという事が「こんなに幸せなんだ」。

日本にいて、初めてきっと日本でね、かかった時というのは、きっと幸せなんでしょうけども色んな事が分かんないんで、あの、嬉しいも何も無いんです。あの、忙し過ぎちゃって、わけわかんないし、若いし。だけど、30過ぎてアメリカで、やっっと自分の曲がラジオでかかってるのを聴いたって時は、ありがたかったですね。なんかそれ以降は本当に、1曲かけてもらう事の、1回かけてもらう事の意味とか価値っていうのをすんごく意識するようになりましたね。感謝しますね、そういうのは。

ーー今、伺っただけでも、もーのすごい濃いお話で。あの、久保田さんのね、特にどういう言葉を選んだら良いかなって、悩んじゃいますよね。

久保田利伸
あぁ、そうですよね。本当に僕の場合はね、本当に本当にラジオがあって、ラジオが・・ラジオ・・中学1年から結局ラジオマンですよね、僕はね。ラジオを聴いている。ラジオマンって言うとラジオを喋る人になっちゃうけども、もう中学の時から、そっからずーっと現在まで続いてるわけですよね。だから・・で、中学の時にあんだけ強烈に、えっと・・ラジオを聴く生活をしていなかったらば、僕は多分、歌を歌ってないですよ。歌を歌ってるとは思うけども、僕の音楽のスタイルは全然違うし、プロになってないかも知れない。

あそこで、ものすごくレベルの高い曲に出会って「大好きなものはこういう曲なんだ」っていうアーティスト達に出会っていったりとかってする。で、多分出会わなかったんですよ。もし、ラジオのスイッチを自分の部屋で入れなかったら。そしたらば今、本当に今の仕事をしてるかどうか分からないぐらいでかいんですよ、僕にとってラジオが。

 

久保田利伸 interview / 「何は無くとも歌、ソウル、R&B。その魅力に取り憑かれて40年なわけですよ」

http://bmr.jp/feature/168192

——こういうお話を聞いていると、ソウル/R&Bが好きで歌い続けてきた者同士の、ただ歌うことが好きでやっているピュアなコラボというか、そこらへんが久保田さんのシンガーとして信頼できる部分というか、そこをご自身でも強く意識されているような気がするのですが、いかがでしょうか。

「その通りです。今も自分で曲を作りますし、レコーディングの現場もイチから全て見張ってますし、チャンスがあったら参加しますけど、その程度なんですよ。僕は楽器も下手だし、譜面もキッチリ書いて読めればと思うけど、でも歌がド真ん中にあって、それ以外はオマケなんです。だから、どんな曲を作っても、誰とコラボレーションしても、何は無くとも歌、ソウル、R&B。その魅力に取り憑かれて40年なわけですよ。そういう歌であればあるほど楽しいですし、エクスタシーを感じるんですよね」

 

——今回のベストとは関係ないですが、コラボといえば久保田さんの作曲/客演で、松尾潔さんが歌詞を書いた鈴木雅之さんの“リバイバル”が今年出ましたけど、あれも70年代のフィリー・ソウルを思わせるスウィートなバラッドでした。

「また元ネタとか言わないでくださいよ(笑)」

——はい、メイジャー・ハリス(Major Harris)のアレとか言わないようにします(笑)

「あれ、メイジャー・ハリスの“Love Won’t Let Me Wait”は4分の4拍子で、“リバイバル”は3拍子に変えてあるんですけど、それでもわかっちゃいますか? (メイジャー・ハリスの)曲の一番大事なところが出ちゃってるんですね。困ったなぁ(笑)。いや、人に曲を書くことはたまにあるんですが、ベタなソウルというか、元ネタをわかってくださいみたいなレベルの曲を書くチャンスって、なかなかないんですよ。少しポップに工夫してあげなきゃいけなかったりとか。でも、そこはマーチン先輩なので喜んでくれるかなと思って。それに僕らの間ではちょっと気付いてほしいっていうのもあったから。ソウル・マニアの間での秘密の気づき合いっこ。それも大事なソウル・マナーだって、地上波のテレビ番組でも言いましたよ(笑)」

第77問 俺に残るものは

深淵から生み出されるもの 又吉直樹 X 宇多田ヒカル

又吉 なにかの現象について語ることはできるけど、実際には、どの現象を起こせていないということをよく感じていて。いろんな表現についてただの説明でしかないと思うことがある。でも、映像の中で宇多田さんが僕をどついた瞬間、僕が今まで言葉で説明していたことが、あの一撃で現象になる。

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又吉 宇多田さんも前に、作品を発表すると、完全に自分のこととして受け取られて、それが嫌な時もあるって言ってましたよね。でも『火花』を読んだ時に、又吉さんが頭の中に浮かんだ、と。
宇多田 そうですね。表に出て、普段の状態の露出をいっぱいしている人だと、それほど表に出ない作家よりももっとその人だって言う感じがあるのかも。(中略)私の歌詞を、「実体験なんですか?」ってインタビューで聞かれたことあったんです。そういうの関係ないじゃん、ってちょっと思ってたんですけど、『火花』をその直後に読んだら、「あ、そうだね。想像しちゃうよね」って。自分でもそっち側にたったら、「そりゃそうだわ」ってなりました。(中略)『火花』にもだったらその構図自体で遊んでやろう、武器にしちゃおうっていうのを読んでて勝手に感じたんです。

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宇多田 でもシンガーソングライターとかラッパーとか、つまり自分で紡いだ言葉を歌い上げる人の「かっこよさ」において、その人のイメージがない無名の状態で作るもの以降の、自分の見られ方や立場も把握している上でどうそれをも利用しているのか、というのは大きなポイントだと思います。「そんなこと言っちゃうんだ」とか、「そんな立場なのにそんな突っ込んだことや、自分の弱点をさらけ出すようなこと言うの?」って驚かされるとグッときます。簡単なことではないからです。向き合うのが容易ではない自分の内部の何かと、真正面から対峙した結果だとわかるから。

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又吉 「変な批評、悪評を養分にしてしまうとかたちの悪いものができあがってしまうから、そことは距離を取るんだ」という立場を馬琴は示すんですけど、僕はちがうスタンスを取ってみたいということを文庫版『火花』の巻末に書いたんです。僕は、その汚いドロドロしたいろんなものを養分にすることによって、それはそれでおもろいものができそうやけどなって、なんとなく直感で思ったんですよね。それはどこかでやりたいと思っていました。そういう考えが残っていて、『人間』で表面化したのかもしれないですね。
宇多田 ドロドロした中から美しいものが…蓮ですね。きれいな蓮ってすごく澄んだお水じゃないところに咲きますよね。それこそ視点を変えることによって、絶望だったものが美しいものにフワッと切り替わる瞬間がすごい気持ちよかったりする。
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宇多田 作品を作るという行為に目的があるとするなら、自分をもっとよく知るためだと思うんです。私にとって大事なのは、どれだけその人が自分に正直に向き合おうとしたか、という点であって、それは本人が誰よりも一番わかるべきことなんです。受け取る側には「説得力」とか「迫力」とか「感動」として伝わることかもしれません。じゃあ芸術や芸術家にとって他者からの評価は全く無意味なのかと言うとどうではなくて、例えばどんな単語でも文章でも発言でも、意味を理解するためにはそれがおかれているコンテクストがとても重要ですよね。そういう文脈の一部に他者からの批評やそれに対する自分のリアクションもありますね。自分をよく知ろうと思ったら、自分の置かれている世界や他者にも思いを馳せる必要があって、自分でさえ自分の世界の一部、と捉えられる客観性も必要ですよね。

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宇多田 希少な才能を認めたり、説明できない何かを讃えるのはいいと思いますけど、もしその人を「普通とは違うものを持っている」ことを含めて「すごい」としている場合、その時点でそのひとを「普通」な規律や社会の基準に落とし込んで「すごい」って言っちゃってると思うんですよね。そうなると、そもそも社会にはまれなかった、そこから落ちて漏れちゃった人に対して、間違った認識を持ってあがめることになる。歴史的に、芸術家っていうのは、「そんな騒動起こしちゃうの?」みたいなことばっかりやってきたわけじゃないですか。良くも悪くも非常に人間臭いというか。それが今は、不倫とか、ケンカ沙汰とか、そういうことで「じゃあなしだ」みたいになる。存在しない椅子に座らされて、またその椅子を取り上げられる、不思議な時代だなと思います。昔からそういう要素はあったんでしょうけど、今はそれが過渡期にあるというか、おかしなことになっているなとは思うんですよね。

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宇多田 才能があれば簡単に素晴らしいものが作れる、という誤った解釈が、作る人達をちょっと神格化してしまうのかもしれないですね。

 

 

 

宇多田ヒカルも、又吉直樹も、洞察の度合いが非常に深くて本当にためになった。
彼らは思想家や批評家ではなく、芸術家なのだということを痛ましいほどに気付かされた。
人間が生きる意味とは何なのかという問いは、おとなになればなるほど考えさせられるようで、なんで自分は今こういうことをしているのか、みたいなエッセンシャルな問いかけはいつにおいても大事だなと改めて思う。
何かを表現したり、作り上げたりする中で、常にそこには自分への問いかけがあるわけで、この葛藤の産物が人間の痕跡になっていく。我々が現実として信じてやまない表象的な実体には、自分には簡単には届かないコンテクストと対談の中で出てくる「化け物」的な時間がある。
これを一般人として突き詰めいくと、誰しも輝かしい瞬間ばかりでもなく、日陰で刀を研いだり、だらしなく一日を過ごす時間はあっていいし、だからこその他者の目に見える瞬間での輝きみたいなものがある。
なにもかもが表現の時代になってしまっている時代だからこそ、化け物的な自分を深く自覚して、自己表現での自分の追及は欠かしてはならない作業なのだなと。

人は階段を上がれば上がるほどに謙虚になるのだな、と尊敬する人々の言葉をかき集めると感じるようで。
久保田利伸は「自分には歌を歌うことしか出来ない」とはっきり言ってしまうし、宇多田ヒカルは全能感を信じる人々をいともバッサリと否定する。
道を歩めば歩むほど、自分にできることは本当に少ないことに日々気付かされるけど、それは自分がいい道を歩んでいるという感触なんだろうなと思う。

なぜ僕らは生きているのか、なんのために生きるのか、何が本当に自分にとっての幸せなのか、自分の生きる世界とは何なのか、こういう問が自分の生きる哲学の中で紐付いていけばいいなと思う。
素敵な大人の背中だけは見失うことなく、自分らしい答えを生きていく中で見つけ出したいなと思う。

 

第76問 愛の轍

一度抱いた感情というのは、時が経っても消えることはない。

愛惜という言葉はどうしてこの程までに真実味と美しさを持つのだろう。

切愛の限りを尽くして、生きる。

突然になんの脈略もなく再び出会ってしまうと、あけすけな自分が現れるようで気恥ずかしいけど、自分らしくて嫌じゃない。

何の気なく帰るいつもの道がちいさく華やかで、踏む足も少し優しくなる。

見たこと無いイヤリングはとても美しくて、自分が君の声を忘れていたことに気付かされた。

とても似合っていた。

 

「あなたは憧れと恋愛感情を混同しているのよ」なんて言うけれど、俺はまっぴらそう思わない。

君はきっと俺が君にあこがれているだけで、好きじゃないんじゃないの、なんて思っているんだろうけど、ちがうんだ。

人は女で有る前に、男で有る前に、人であるんだよ。

人であるからこそ、人として魅力的なことはとても大切なことなんだ。

やさしさやたくましさは、人間としての魅力であり、女としての魅力なんだ。

だからどれだけ怖くても、愛したい、って思えるんだ。

それがたとえフェイクかもしれなくても、俺はそれを信じている。

零れそうになった愛の堰は、再びその波を穏やかにして、そうやって歴史は紡がれていく。

送った歌を今は優しく聞いて...

 

純愛。

それを求める人によって、純愛は成し遂げられる。

諦めた人同士ではきっと不可能なことなんだ。

素敵なダンスを踊ろう。

いい歌を知っているんだ。

 

第75問 深く潜って

海を深く潜るとき、人はどのように海を泳ぐのだろう

海を泳ぐには、ふたつの方法がある

ひとつは、ずっと距離を遠く泳いでいく方法

もうひとつは、下に深く深く泳いでいく方法

地面の上に立っていては自分の力だけでは上に飛んでいくことはできないけれど、海にいれば下へ下へ泳いでいける

 

横に遠くに泳ぐのに泳ぎ疲れると、人はどうやら下へ下へ深く潜っていきたくなるのかもしれない

横に泳いでいて見える景色は、実は泳いで泳いでやっと見えてくる程度で、実際には遠くに見える岩肌がくっきり見えたり、下に海が続いていることに気づくぐらいのものかもしれない

 

 

第74問 変わった覚え

不思議なのが久しぶりに合う人々との時間が、ことごとくいい時間にならない。

別に自分はそんな変わったつもりはなくても、自分が経験してきたことを話すと、それがまるで私がすっかり変わってしまったかのように思うらしい。

自分の話し方も悪いのだろう。

比較的なんでも話せるという安心に包まれた関係性の中で、相手に求められる自分で居続けるように努力するというのは難しいし、それはとても本質的でないと思う。

自分は人間として誠実で居続けたいし、正直で居続けたい。

嘘は嫌だし、隠し事もしないだろう。

例えば、変わってしまったという俺への仕返しとして、一人の友人が隠し事をしたり嘘をついたりするのであれば、もうそれは自分にとってその関係が冷たくなっていく合図なんだと思う。

自分は何一つ嘘はついてないし、正直に生きてるつもりだ。

それがだれかにとって俺らしくない俺に見えるときに、俺はどうすればいいんだろう。

変わってしまったね、なんて言われるべきなんだろうか。

 

自分は変わってしまったような気は全然しない。

むしろ真実っぽくて日々人間として満足できるなにかを追い求めてる。一周回って、二周回ってわかってもらえたらいい。

 

第73問 悲しき病

なぜ僕らはここにいるんだろうか。

白いシーツに枝垂れる黒い髪は、いつのまにか伸びていて、美しさは引き立っている。

白く汗ばんだ肌は、なまじか生々しく現実感を漂わす。

抱きしめることさえ苦しいし、悲しくて、寂しくて、人肌の温もりなんてものは夢だった。

自分が悪かった。

見せてはいけない世界を見せて、いざなった。男ととして隠さなきゃいけないものを見せた俺が、君の美しさを壊した。

背中に涙が流れた。

 

今最近ふと思い出す、苦しみではもうないけれど、瞑った目をよぎる。

本当は最初からそういう目だったのかもしれない、僕を見る目はなんら変わっていなかったし、その目に籠る意味に気づいていなかっただけかもしれない。

その瞳にはどんな意味があるの。昔の君に聞くよ。

 

「俺らは一体どういう関係なの」

僕には口にできない言葉だった。浅はかすぎた。僕が使うには安すぎた。

人間とは難しい。

好きだったけど、愛していたわけじゃないんだ。

 

あの好きだった頃に戻りたい。また会いたい。それだけなんだ。

 

女に求められる度に思い出す。

あのセックスがもっと美しければ。

第72問 20190713 祖父の死

これはもともとは自分の手帳に書き記したもので、誰かに見せようと思って精巧したものでもなんでもない。

ここへその文章を残すことが、何かしら、小さな救いのようなものを求めるのか、それとも手帳に埃がかぶる未来が寂しいからなのか自分自身も皆目見当がつかない。

僕という人間を少しだけ多く知ってくれようとする人に、読んでもらえたら嬉しいと思って、キーボードを打つ。

もしやすると気が変わって、明日には消してしまうかもしれないし、ずっと残すかもしれない。本当に何の気なしに、気持ちの流れるままに書き、ここに上げていて、そこに深い恣意はないから、それ以上僕の心を詮索しようと無駄である。

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20190713 祖父の死

 

12時ごろ。

母の実家にいる。

家の中に線香の香りが立ち込み、どこか静かで生暖かい時間が流れる。

祖父の遺体を前に、その顔にかかる布切れをめくり、その顔を見ると、自分でも驚くほどに涙が出た。

数週間前、病院で祖父に会ったときには、わからない感情だった。

彼の遺体を前に湧き出た思いをそのままに書き残すとすると...

純粋に彼は自分にとって家族だったのだなと思う。

十代にかけて崩れていった自分の"家族"という概念は、どこにどんな破片が残っているか自分自身でも見当がついていない。

ただ祖父の冷めきって青くなった、これからはもうとうに動かないだろう彼の顔を見ると、僕は何かを思い出したように泣いたんだった。

行きの車の中で母親から聞いた話では、祖父は若いうちに多くの兄弟・姉妹を病気や戦争、事故で亡くしたらしい。彼の若かりしきつく辛い時代を思うと、彼が自分に語りかけた言葉の重みは計り知れない。

そういう人生の話で言えば、僕のそれは祖父に似たのかもしれぬ。

家族や愛する人に向き合う不器用さも、彼に似たのかもしれぬ。

 

自分にとっての家族とやらがなんなのか、何度も何度も考えさせられる。

誰も座っていないマッサージチェアを見ると、そこに祖父の面影を感じる。

 

窓の外を見ると、二匹の蝶が踊り、交尾していた。

梅雨の合間の少し晴れた日に、回る扇風機の音を聞きながら、祖父を思う。

──── 勉強しろよ、脳みそだけは誰にも盗まれないんだから 

いつもいつも会うたびにそう言った。

祖父との深い思い出はない。彼はそういう人だった。

たまに少しの会話をするだけで良かった。

そういう家族だっていいじゃないか。そういう家族もいい。

 

病室にいた祖父を思い出せば...

僕が初めて病室を訪れた時、僕はよく祖父に話しかけた。

ロシアやインド、アメリカに行った時の話。僕が素晴らしい友に囲まれている話。家族の話。

異国には日本にはない経験、人、言葉が溢れている。インドは人でごった返しているし、ロシアは美しい景色で溢れていて、アメリカはいろんな人間がいる。

齢二十の瞳に映った景色を必死に、美しく、それらしく伝えた。

僕の友は辛い時も喜べるときもそばに居てくれた。中学・高校・浪人・大学、全てにおいて豊かな仲間に恵まれた。どこのどいつをとっても、どこに出そうが恥ずかしくない奴らばかりだ。僕は彼ら、彼女らに育てられたといってもおかしくないかもしれない。今日、自然に母のキャリーバックを引いた時、ふとそう思った。

 

こういう話をすると、横たわる祖父はポロポロポロポロと涙をこぼすのだった。

口があまり回らなくても、話はよく聞こえているらしかった。

どこかで聞いた話で、人間が死ぬ時最後まで残る五感が聴覚らしい。

その時はすぐ死ぬとまではいかなかったけれど、彼はきっと僕の話をよく聞いてくれていたのだろう。

 

人の死がこうもまざまざと己の人生に入り込むのは、久方ぶりだった。

一年前の友人の死は、自分にとってはもはや概念だったし、それ以外の死は空想だった。

若かりし血が滾るような時期は、さほど死は近い存在でなくていい。

 

でも大切な人がいなくなってしまうことの悲しみにひたること、これは己がどんな年齢だろうとも変わらない、人生の避けがたい起伏なのである。

 

 

 

一歌。

 

下野の三毳の山の小楢のす

まぐはし児ろは

誰が笥か持たむ

 

万葉集 巻一四 三四二四