第133問 「わかってほしい」

ずっと集中して勉強し続けるというのは無理な話で、先週ぐらいまでは一生懸命全力投球という感じではあったが、この一週間ぐらいは友達と会ってリラックスした時間を取るようにした。

不完全燃焼感はあるけれど、友達と飲んだ後はぐっと疲れてしまって、自分には相当の疲労が溜まっていたのだなと感じた。

友達と話すときは、最近はもっぱら聴くばっかりで、聞いた話に対して自分はどう考えるかということを相手のことを思いながら話すということが最近は殆どだ。

自分の成績が良かった話をしても仕方ないし、就活がまずまずうまくいっている話もその程度なのだ。

しいて僕が言えることといえば、突然友達からかかってきた電話で重たい恋愛相談を受けた話とか、元カノが医者の国家試験に受かったらしい話ぐらいだ。

今度行くデートが楽しみなのだ、という話をしても、まあその女の子が見た目がタイプで、でも中身はとても変わっていることを言うだけだ。

成熟という感じではなくて、ただでもしっかりしているという感じの彼女は、言葉ではなかなか説明しづらい。一緒にお昼ごはんを食べたとき、昔いじめにあった話をされて、この子はこころに傷を負って育ったのだな、とその子の奥底にある優しい感情の理由に気付かされた。

 

友達と飲んだときにこんな話をされた。

その友達はもう働いていて、いわゆるプラットフォーマーの大きな企業に就職したものの、あまり気風があわず今となってはスタートアップで働いている。

その彼は、もともと世田谷の方で一人暮らししていたが、社会人になって四谷に越した。

三人組でもうひとりが住んでいる田町のよさげなマンションで飲むことも多いが、僕と彼二人で飲むときは四谷に足を運ぶことがほとんどだ。

彼は上京して以来とうとう一人も彼女ができないままで、でも別に女に困るようなタイプではない男だ。自分に近いところもあるだろう。

好きになるタイプの女の子に難があるから、誠実に「好き」と伝え合うのが難しくなることがほとんどで、彼にとっては「好き」は今となってはあまりに意味のある言葉になってしまっていた。

 

彼には1,2年前に足繁く通ったお弁当やさんがあった。

四谷ということで、すらっとした大学生も多いから、その弁当屋のバイトも可愛らしい女だったらしい。昔は、その子が可愛くて弁当屋に通っているんだという話をしていて、のんきでいい話だなと仲間内で笑い合っていた。

ただ、どうやら連絡先を聞こうとしたら、断られてしまって以来その店に行くのはやめたと聞いた。現実は厳しい。

しかし、先日話を聞いたとき、話は展開してた。

彼が飲んで駅から歩いて帰ろうとしたら、その女の子とすれ違ったらしい。その子はとうに弁当屋さんのバイトはやめていたけれど、忘年会かなにかで久しぶりに店に顔を出した帰りに、彼とすれ違ったのだ。

彼は、酔って上機嫌だったこともあって、彼女とその道すがら楽しく話し、欲しかった彼女の連絡先をもらうことができた。

それから何度か彼は彼女とデートに出かけ、楽しい時間を過ごした。

三回目のデートの帰り、彼は、彼女に改札で告白した。

そこで、彼女は「友達だと思っていたから、考えさせてほしい」と言って返事を先延ばし、彼は返事を待った。

ただ、一週間近く連絡がないので、彼は改めてデートに彼女を誘うことにし、二人ででかけた。そこで彼女は、彼が長年も彼女がいないなんてことはない。どう考えても遊んでいたんじゃないのか、と彼を問い詰めた。

彼女のコンテクストとしては、元彼に裏切られ、女遊びをする人とは付き合えない、別れてから心の傷も癒えていない、というものがあったようだ。

だから、彼女は、自分にとって、彼が害のない人間じゃないことに確信を得たかった。

 

一方で、彼のコンテクストからすれば、今まではいい加減な恋愛ばかりで、まともに「好き」ということもできなければ、「好き」と言われてこなかった中で、ついに「好き」と人に勇気をもって伝えることが出来たのだった。非常に大きな出来事だ。

しかし、その意味合いの深さは決して彼女に押し付けることなく、ただ誠実な好きな思いを伝えることで必死だったのだ。

結局、彼女の不信感は拭えず、その恋愛は終わったらしい。

 

三者からすれば、彼女は自分のコンテクストをわかってほしいという言いぶりなのに、なぜ彼のコンテクストを理解しようとしないのかは、とてもさみしいことのように思う。

誰しもいろいろな過去があり、深ぼれば悲しい思いをすることはあるだろう。

なぜあなたのコンテクストだけわかってほしいという気持ちになるのだろう。

それは女だからなのか、ただただまだ未熟だからなのか。

 

人によるというのが一番のところであろう。

ただ、「わかってほしい」「受け入れほしい」と思うならばこそ、他者を理解しようと必死になり、受け入れようともがけるようでありたい。

ただ、そういう感情をパートナーに全力で投球すること自体が、あまりいいことではないのだろう。いろんな人に、いろんな物に分散できてこそ、自立した大人というものじゃないか。