第160問 涙がこぼれて/家族として

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昨日は、親の実家にいって、祖母に司法試験合格と新年のご挨拶に行ってきた。

祖父は4年ほど前になくなっていて、墓前に手を合わせに行った。

祖父は自分のことを、この地球で一番僕を応援してくれていた人だった。

「頭だけは誰にも盗まれねえからな」と方言まじりに、僕に勉強することの大切さを教えてくれた人だ。

寡黙で不器用な人間だったが、死に際まで意識がはっきりしていて、よく色々と考えるような人だった。

私が大学に受かったことも周囲に自慢してくれていたらしく、自慢の孫だと思ってくれていた。

彼との思い出はそこまで多い訳ではないのだが、僕の小さい頃に両親が別居して、母が長いこと帰省していた時期に、僕は母の実家で長い期間過ごしていた。

4時ぐらいになると、祖父は当時飼っていた犬の散歩に連れて行っていて、たまに僕も一緒に歩いていた。

あまり人のいない線路沿いをずっと歩いた。

特に何か話していたわけではなかったが、少し汗をかきながら歩き回っていたのを覚えている。

 

祖母はすっかり老けてしまって、僕が司法試験に受かったこともうまく認識できないし、ずっと「大きくなったねえ」と繰り返し言っていた。

人は年をとってボケてしまうのだなと感じながらも、友人の祖父母もみんなそういう時期であることは十分耳にしていたので、しょうがないことだなと思っている。

 

帰り際、気をつけて帰りなさいね、またいつでも田舎に帰ってきなさい、と背の小さいおばあさんが悲しそうな顔で僕に呼びかけるのを見て、涙が目にたまった。

 

悲しいわけでもなく、嬉しいわけでもなく、理解がおいつかないけれど、涙がこぼれた。

 

自分にとって家族ってなんなのだろう、と帰りの車に揺られながら思った。

 

 

自分の家族は、父方も母方も不和で、家族は選べないものだなとよく思う。

自分にとって、家族は受け入れるしかないもの、として認識されている。

親は子供を受け入れるしかないし、子供は親を受け入れるしかない。

その周りの家族も結局は受け入れることしかできない。

 

そういうしょうがないものについて、自分はこの歳になってしっかりと諦められるようになって、精神的な成長を感じるようになったのだ。

 

家族に対して単純な「好き」とかの気持ちではないはずであるし、他人だなあという感覚が結局行き着くところなのだと思う。

 

じゃあ他人として、面倒をみてあげられたらいいなと思うのが、自分の落とし所だ。