第104問 大切な人間関係とは

家族にしても、恋人にしても、友達や親友にしても、大切な人間関係を基礎づけるものはなんだろうか。

血がつながっているという客観的事実か、金銭や精神的扶助という恩か、体を重ねる行為か、取り返しがつかないくらい過ぎてしまった時間か、毎度流れる楽しい雰囲気か。

今久しぶりに朝に目覚めて、思ったことがある。

矛盾してもいい場所。すべての共通項ではないだろうか。

自分の前なら矛盾してもいいよ、という関係性ではないだろうか。

特に家族や恋人に抱く思いは、矛盾に満ちていると思わないか。

愛情と憎悪、期待と心配、肯定と否定。

母に枯れてしまった無償の愛を見て、思うのだ。過去・現在・未来において、矛盾を繰り返す彼女を私は受け入れることしかできない。言葉も行動も矛盾の繰り返しだ。

恋人には、相手を好きになればなるほど、多くを求めてしまう。本当は自分が自分本位だとわかっていても、相手を自分本位だと言ってしまうのだ。

昔好きだった人に言われた言葉を思い出す。

「矛盾したことを言ってごめん。一貫性がなくてごめん」

私はこう返したんだった、「矛盾していいし、一貫性はなくていいよ」

そのときは、なにも責めるような気持ちはなかったし、その人のことを受け入れてあげたかったから言ったけど、あれは愛の一種だったのだろう、今のこの瞬間になって気づいた。

大切な言葉や大切な時間は、皆覚えているものだ。だから、あのときと変わっていく現在に喜んだり、苦しんだり、そんなことの繰り返しである。

昔と言っていることは、思っていることは変わらないなんて態度を、家族や恋人、友だちの前でさせてはならないだと気づいた。

あのときはこう思っていた、今はこう思う、これからはどう思うかわからない。

こう言ってもらえることが、信頼の証だ。

自分の中での問題でしかない、矛盾への拒否感から開放できるのは他者しかいない。遠い他者はもっぱら矛盾の批判者であるが、最もそばにいる他人は矛盾こそに、愛を感じなくてはいけない。

最初から矛盾することは苦しいけれど、幸せで誠実な信頼に足る時間を積み重ねるから、矛盾は愛おしい間違いになっていくんだ。

「あなたは私に矛盾したことを言っているけれど、あなたを愛しているから許してあげる。もっと、矛盾して良いんだよ」

そう思える自分はなんて愛おしい存在だろう。

大切なことに、ふと気づいた朝だ。