ポジティブな言葉を書き連ねる前に、自分がちゃんと感じているネガティブな気持ちをも愛せたらいいなと思う。
それをここで丁寧に吐き出して、本当の自分を見失わないようにしようと思う。
端的に言えば、もう俺は誰かのジャッジメンタルや偏見、幼さの犠牲になりたくない。
誰かの自分の見栄とか、ぶりを証明するための選別の対象になりたくない。
作為のみならず、不作為をしっかりと感じ取り、その人が何をしないのかをちゃんと覚えて生きていきたい、と思う。
そういう若さは、もう自分にはうんざりで、できるだけ関わりたくない。
一度言ったこと、を反故にしたり、守れない人は深い部分には招けない。
自分がいつのまにかしてあげてばかりになっている、そういう人は、自分を誰かとくれべて劣位に扱っているのかな、と思う日も長くあったけれど。
最近思うのは、そういう人は本当に大切に思っている人すらも、大切にできていないということだ。
愛を知らぬものが、愛を知るものと関わることで生まれてしまう悲しみであるように思う。
私はちゃんと愛を知っているから、あなたに本質的に愛が足りないことをちゃんとわかるのだ。
外を派手に見せていても、みじめなのは変わらない。