第123問 イヤフォンを外して

このところよく物思いに耽る。

秋の寒さが染みるからだろうか。

 

夜、カフェに行った。

そこには中年の男女がいた。

職場の同僚のようで、女性がひたすらに職場で感じる苛立ちや違和感をぶちまけている。

その職場は要するに、あまりチームとしての一体感がないようで、各人が割り切って仕事をしていて、上司が心無い言葉を部下に浴びせる。そんな場所であったらしい。

 

女性は前いた職場が志高い人々の集まりで、それに比べてそこが居心地の悪いものであるんだということをくだくだと男性に語る。

 

男性は、自分は他人に興味がないからそんなふうに熱くなれないんだと一歩引く。

もっとドライになろうよ、人間に期待をするのをやめようよと言うのだ。

 

女性は女性で拗れているし、男性も男性で考えを押し付けている。

どうしてこの2人はこの時間にカフェで延々と喋るのだろうと思った。

 

でもどうやら2人は付き合っているらしかった。

女性は自分の気持ちに寄り添ってくれない、付き添ってくれないと、怒りをぶつけていた。「あなたは1人で生きていけそうだね」と。

でも男性は、すごく思っているんだよ、と返す。

ある程度歳をとってから言われる「1人で生きていけそうだね」は、寂しくその男性の心を貫くようだった。

 

男と女はなぜ一緒にいるのだろう。

2人の会話を聞いて僕は不思議に思うのだった。

しかし、分かり合えないつがいが、いろんな人生を経てわかり合おうとする姿が、僕にはどこか美しいように思えた。

 

人間には他の人間のことは分からぬ。

自分にこの考えが染み入った。

 

色んな人の気持ちを分かったように思っていたけれど、きっとまるでそんなことはなかったのかもしれない。

 

自分が感じている他人の気持ち、その少なくないものが自分の想像、妄想であるということに、改めて僕は気づくのだった。

 

分かり合えないから、分かり合いたいのだ。

 

分かった気になった人間に、分かり合いたいと思う気持ちが生まれないのは必然だった。

 

僕は普段イヤフォンで音楽を聴きながら家へ帰る。

今日はイヤフォンをするのをやめた。

いつも歩く夜道は静かだった。

 

僕の人生には人の耳に流れぬ音楽が流れていたのかもしれない。