第100問 今の自分は

風が後ろから吹いて、自分のシャンプーの香りがした。好みのシトラスの香りだ。

その後、風は足元から立ち上がって、腕につけた香水が香った。

自分の街は帰るための街で、ずっとずっといるべき場所じゃないことを今日の帰り道に気づいた。

 

宇佐美りんの「推し、燃ゆ」を電車に乗りながら読み終えて、家で読む必要がないことに安心して帰路についた。

家を出たときは、電車に乗ってどこかにいくつもりはなかったけれど、「わたしを離さないで」を4章分くらいフラペチーノを飲みながら読み進めて、ふと民事訴訟法の分厚い教科書を読みに渋谷に出かけることに決めたのだった。

渋谷のデパートにある大きな本屋にいった。デパートの入口にはいい匂いのするアルコール消毒液があって、それを手に塗る。

読みに行った教科書はおいてなくて、民法の演習書も気になっていたものはなくて、刑事訴訟法の演習書と民法の導入書をざっと立ち読みした。

帰り際、手には「わたしを離さないで」と「鏡子の家」があったから、小説は買わないつもりだったけど、宇佐美さんの小説がズラッと並んだ棚をみかけ、せっかくだから開いて読んでみた。すると、最初の数ページ読んだだけで、この本は面白いという自分の嗅覚が言うのだった。

渋谷の改札に行く途中に気づいた。

悲しいことがいっぱいあったけれど、どうしたらいいかずっと考えていた。

俺に語りかける俺がいた。

「悲しい思い出は、喜びと幸せで塗り替えていけばいいじゃないか」

正確にいうと、ふと優しい気持ちで呟いていた。

思い出を振り返り、誰かを思い出すことが辛くなるのは、思い出が悲しみに染まるからだった。

一度染み込んだ悲しみは、抜けないと思うと、明るい絵の具の蓋をあけなくなってしまっていたのだ、俺は。

他人を、誰かを大切に思う気持ちは、こういうものなのだと気づいた。

たとえ思い出が悲しいものであっても、大切で、今度また会いたいと自然に思えれば、そのときに楽しい幸せな思い出を塗り重ねていければいいのだ。

そういえば、そうやって生きてきたんだった。

言葉や思い出が、悲しみでずぶ濡れなような気がしていた。

太陽の下に干して、時間が経てば、濡れは乾く。

そのときに、また美しい色で染め上げて、塗り重ねていければいいんだ。

俺は、人を大切に、心から大切に思っているんだと感じて、安心した。

 「真夏の通り雨」にこんな歌詞がある。

思い出たちがふいに私を
乱暴に掴んで離さない

振り放そうとするから悲しかったし、手放したくない痛みで辛かった。

思い出は増えていくし、塗り重ねられていくものだった。

 

だから、帰り道はとても穏やかだった。